紀子さま

紀子さまは「昭和天皇に嫌われていた」のか? 真相を徹底検証(宮本タケロウ)

文/宮本タケロウ

根拠不明の紀子さまバッシング

令和の御代になり、筆頭宮家から次世代の皇室を担う皇嗣となり、ますます存在感を増している秋篠宮ご一家だが、本サイトでも何度かお伝えした通り、アンチ秋篠宮家一派からの紀子さまに対する口汚い攻撃も残念ながら存在する

権威ある正しい人間が、世間からひがまれ火の無い所にも火をつけられて誹謗されてしまうのは釈迦やイエスの時代から世の常だが、本サイトはこれまでに紀子さまの先祖が朝鮮人の密航者だという疑惑を完全論破したことをはじめ、根拠のないバッシングは許容しない姿勢を明確にしてきた。

参考記事:紀子さまの母上は「朝鮮人」なのか?

そんな根拠のないバッシングの一つに「紀子さまは本来は皇室に嫁ぐことなど不可能の人で、ブライダルチェックも適用されず、秋篠宮殿下が無理やりワガママを言って結婚した」というデマがある。

紀子さまは本来皇室に嫁ぐこともできない人…?果たして本当だろうか?

昭和天皇も認めた秋篠宮さまと紀子さまとの交際

今回は、紀子さまが秋篠宮さまと交際されていた時期に遡る資料を入手したので、紹介し、秋篠宮殿下と交際していた時代の紀子さまの実情に迫っていきたい。

今回入手した資料の名前は世に名高い「冨田メモ」。冨田朝彦宮内庁長官(1978-88年)が昭和天皇の肉声を丹念にメモした一級の歴史一次資料だ。これによれば、紀子さまと秋篠宮さまの交際はなんと昭和天皇公認の交際だったのである。

昭和63年の冨田メモにはこうある。

(昭和63年4月28日冨田メモ)

「礼宮、陛下も承知し喜んでいる」と。

言わずもがな、礼宮は秋篠宮の幼名である。当時22歳の秋篠宮殿下と紀子さまの交際を祖父の英主昭和天皇もお喜びだったことがはっきり分かるだろう。

上皇ご夫妻も公認の交際だった

また、それより3年前の昭和60年にはすでに、当時の東宮両殿下(上皇御夫妻)に紀子さまが紹介され、両殿下(上皇御夫妻)とご一緒にテニスをするなど交流を深めていたことも明らかになっている。

(ご結婚当時の週刊誌報道)

これによれば、美智子さまや上皇陛下も理解の眼で秋篠宮殿下と紀子さまのご交際を見守っていた様子がよくわかる。

可愛い孫の結婚相手を知ることができた昭和天皇の喜びはいかほどだっただろうか。読者の中には既に孫をお持ちの方もいらっしゃると思うが、かわいい孫の結婚相手を見ることはこの上ない幸せであり、孫にとっては祖父母への孝行ともなろう。

秋篠宮殿下としては、昭和天皇のご存命の内に結婚され、昭和天皇にも曾孫(眞子内親王)をお見せしたかったのだろうが、昭和64年1月に昭和天皇は残念ながら崩御され、結婚は喪が明けた翌年の6月になったのは周知のとおりである。

紀子さまは宮妃に相応しいお人柄である

いかがだろうか?

昭和天皇公認で交際されていた紀子さまがブライダルチェックを経ていないわけがないし、昭和天皇もお喜びになった紀子さまの皇室入りを叩くのは、昭和天皇を侮辱するに等しい行為であろう。

また、プロポーズの数年前から上皇・上皇后両陛下にもしっかり紹介して、ゴールインまで順を踏んだ真面目な交際をされていることも今回の資料から明らかになった事実だ。

このような事実を踏まえれば、リテラシーある大人なら、紀子さまの人格を貶めるなどあり得ない。が、冒頭に述べた通り、卑しい人間が高貴な人間をひがんで叩きたい衝動に駆られるのは世の常であるから、 昭和天皇もお認めになった女性であるにも関わらず、今後も卑しい人間による紀子様バッシングは続くかもしれない。

バカバカしいバッシングにいそしむ輩に、神君・昭和天皇の神罰が下らないことを切に祈りたい。


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