皇室

雅子さまに、何も期待するな 過熱する報道に懸念(宮本タケロウ)

文/宮本タケロウ Twitter

雅子さまのプレッシャー…

皇后陛下のお誕生日(12月9日)までいよいよあと2週間となった。ご病気になられてから皇族定例の誕生日会見はなく、ずっと文書による発表だったが、一部では、今年はお一人で会見されることになるのではないかと報道されている。

今では多くの国民から愛される皇后陛下だが、1993年に皇室に入ってから長らく皇太子妃/皇后役割のプレッシャーに悩まされ続け、ご病気が続いたのは周知の事実だ。

今回は皇后に求められる「役割」にスポットを当て、雅子さまが受けざるを得なかったプレッシャーを分析していきたい。

「皇后役割」とは

まず、天皇の配偶者・次期天皇の母としての皇后には次のような「皇后役割」が求められる。

伝統的宮中役割近代的象徴役割、そして生殖役割である。

  • 伝統的な宮中役割:古代から続く天皇の正妻としての儀礼的な意味を持つ、宮中に存在しているだけで意義がある役割
  • 近代的な象徴役割:明治時代以降に近代的な立憲国家の君主の妻として国家統合の象徴を担う政治的な役割。
  • 生殖役割:天皇の妻として次期天皇となる子供を産む役割。

雅子さまをはじめ歴代皇后にはこれらの役割がプレッシャーとなるが、この役割は時代ごとにその度合いが変容している。詳しくグラフ化した。

(皇后役割の変遷、筆者作成)

近代以前と明治時代の皇后役割

まず、そもそも近代以前は宮中役割があるのみだった。

近代以前はそもそも皇后の冊立もない時代があり、呼び方も中宮の称号が多い。皇族出身以外の皇后は皇族の扱いを受けなかった。皇太子妃時代の雅子さまを「籠の中の鳥」と揶揄した海外メディアがあったが、近代以前は能動的に「籠の中の鳥」となることが求められていた役割だったと言えよう。

それが、明治時代になると近代的な象徴役割が求められるようになる。

天皇が近代的な立憲君主となり、皇后も同様の役割を担うようになる。しかし、子を産む生殖役割はもっぱら側室の仕事だった。明治天皇も大正天皇も側室の子供である。これはお産の技術が発達しておらず、皇后にそんな危険なことをさせられなかった事情も考えられる。現に明治天皇は5人の側室の内2人を出産で亡くしている。

(製紙工場を視察する昭憲皇太后)

大正・昭和時代の皇后役割

そして、大正・昭和初期には、生殖役割が求められるようになる。

側室が廃された明治後期より、皇后はなにより健康であることが重視され、逞しい日焼けで「九条の黒姫様」と呼ばれた九条節子(貞明皇后)が皇太子(大正天皇)の妃と決定したのは有名である。しかし、大正時代は今と違って皇族が100人程いたこともあり、相対的に生殖役割が低かった

(昭和天皇ご一家)

現代に直結する昭和20年以降は象徴役割と生殖役割が高まった

憲法で天皇が「象徴」と規定され、11宮家51人が皇籍を離脱したからである。皇位継承者を産む能力は数少ない皇太子妃や宮妃が担うのみとなった時代に嫁いだのが美智子皇后である。が、当時は皇太子以外にも子を残せる世代としては常陸宮と三笠宮家に3方(寛仁親王、桂宮、高円宮)存在した。

平成時代以降の皇后役割

そして現在、平成以降の皇后に求められたのは更なる生殖役割だった。

男女機会均等法も制定し、国民統合の象徴としてジェンダーギャップを埋める役割が皇室に一層求められた。そこで入内したのがキャリアウーマン第一世代で外交官の雅子さまだったが、ここで急激に高まったのは生殖役割である。

なにしろ、常陸宮は子に恵まれず、三笠宮家の二殿下には女児が5人産まれ、桂宮はあえて独身を選択(そしてご病気に)。更に、弟(秋篠宮)は女児を二人も先に産んでいたのである。

(平成の皇室)

このような状況で雅子さまが感じた無形のプレッシャーは尋常でなかっただろう。むしろ上記の表の役割はこのような配分であるかもしれない。

このように、入内以降、様々な期待とプレッシャーが雅子さまにかかった。

そもそも「伝統的な宮中役割」しか担わなかった皇后に、近代以降、「近代的象徴役割」と「女性としての生殖役割」が加わり、それらの役割プレッシャーが右肩上がりをし続けたのが根本の原因であろう。

皇后役割の見直しが求められる

皇室に嫁ぐ女性のプレッシャーを緩和するには、近代以降に急激に高まった「象徴役割」と「生殖役割」の見直しが求められる。これは、多くの国民が納得するところと思う。

皇后の「生殖役割」の軽減をするためには、女系子孫でも皇位を継ぐ女系容認をするか、または禁止されている養子を認めるか、どちらかしかない。私の立場は後者であるが、いずれにせよ政治が議論すべき課題だ。

しかし、「象徴役割」の軽減は、我々国民の態度性のみに拠っているだろう。皇后・皇太子妃が重荷に感じる象徴役割を軽減するには、国民が自分勝手に皇室に対して、「こうあるべき」「こうあってほしい」と求めすぎることを改める必要がある

私は常々考える。皇室は「少し大きい神社」のような存在で良いのではないだろうか、と。賀茂神社や出雲大社、明治神宮など大きな神社に参拝する人はその神社に親しみを持っているだろうが、その「宮司が誰なのか」を意識しないだろう。またはご祭神すら気にしない参拝客もいるかもしれない。

ご存知の通り、天皇は近代以前は京都で御簾の向こうに隠れた、見えない「天子様」だった。が、姿が見えなくても存在自体が国民統合の象徴である。

皇室に求めすぎる、その意識を反省すること。令和の国民に求められるのはその態度価値ではないだろうか。

(京都御所清涼殿、昼御座と御帳台)

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