皇室

【現地ルポ】大嘗宮に行ってみた 「神秘的な光景」に感動! (宮本タケロウ)

文/宮本タケロウ Twitter

大嘗宮の一般公開

先月15日に恙なく終わった大嘗宮の儀。今回も平成時代と同様に一般国民に向けた大嘗宮の一般公開が行われている。

一世一代の儀式の建物を一目見ようと訪れる国民は非常に多い。本日(12月6日)時点で参観者はすでに平成を超えているらしく、宮内庁ホームページは逐一混雑情報を流しているが、それによると、週末には90分待ちにもなった日もあったようだ。

当サイトはご存知の通り、「行動派皇室ジャーナル」を自負している。忙しくて参観に行けないサイト読者のために、現地の様子を報道したい。

大嘗宮、衝撃の現地ルポ

まず、皇居前広場はこのような人だかり。やはり、この高層ビルと広場の敷地のコントラストがいつ来ても私は好きだ。

坂下門へ並ぶ人が大勢…この時点で係員から「現在60分待ちです」とアナウンスされる。坂下門を抜けると宮内庁庁舎が見えてきた。

(宮内庁庁舎)

宮内庁庁舎は昭和10年(1935年)に建てられた建物で、米軍の空襲によって宮殿が焼失したため、現在の宮殿が建てられるまでの間はこの3階部分が「仮宮殿」として使われていたことは御存じの読者も多いだろう。

戦後の一般参賀では、写真に見える宮内庁庁舎の車寄せの屋根に両陛下と皇族方がお出ましになったのである。

役所の一画を間借りしなければならなかったほど苦労されたのがかつての皇室であった。

皇居東御苑に「弥生時代」がよみがえった

宮内庁庁舎を過ぎると皇居東御苑が見えてきた。大嘗宮はここにある。

(大嘗宮に急ぐ参観者、皇居東御苑)

雅な平安絵巻…ではない、弥生時代が現代によみがえったかのような神秘的な景色がそこにはあった。

白木の社がこんなに大規模に広がる風景をあまり見たことがないので、細部までじっくり見たくなってしまう。が、見とれている暇もなく、後ろから人込みに押され、写真を撮る間もなく、宮内庁職員や皇宮警察によって前に進まされる。

(人込み溢れる大嘗宮)

DJポリスも登場する。

DJポリス「私を撮影しても仕方ないですよー。こんな不細工で良ければ写真撮っていいですけどねー(笑)」

DJポリスは冗談を言いながら参観者を滞りなく前に勧めようと必死である。ご苦労様だ。

「藁」と「枯れ木」の皇帝

大嘗宮の右手と左手の端には、今回「費用の削減」のために木材ではなくプレハブで作られた膳屋(かしわや)も見える。膳屋はお供え物を準備するために用いられる建物だ。

陛下が潔斎と着替えをする廻立殿(かいりゅうでん)に続く鳥居は木の皮がむきだしの丸太で形成されている。灯篭もまるでウッドハウスのように素朴だ。

参観者の中には外国人の姿もあったが、英語でエンペラー(皇帝)の名前で呼ばれる天皇が行う秘儀がこのような森の中で、「藁」や「枯れ木」という豪華絢爛から対極にある丸太小屋で行われるのを彼らはどう思うのだろう。

丸の内のビル群、藁と枯れ木で彩られた白木造りの神殿、そしてエンペラー…

それぞれ3つの異質な組み合わせが間主観的に融合した不思議な国に見えるのだろうか。

(丸の内ビル群と大嘗宮、主基殿)

やはり天皇は日本の象徴である

日本人参観者の中には車椅子で参観する人もおり、人込みの中で「一生に一度のものだね」「それにしてもすごい。来てよかった」と感動の声が多く聞こえた。

現代人が日々のあわただしい暮らしの中で忘れてしまう神秘的な静けさを改めて思い起こさせる太古からの祈り、大嘗祭。

フランスの社会学者デュルケームは古典的名著『宗教生活の原初形態』のなかで、宗教儀礼を、道徳的共同体を常に再生させ、構築させる社会機能と定義した。

大嘗宮の一般公開には50万人が集まったという。世俗化が進んだ今日の日本社会にあっても、我々日本人というモラルコミュニティを存続させるシンボルは皇室であり、その再生を担保する儀礼は大嘗祭に他ならない。

その思いを改めて深めた一日だった。

(大嘗宮の儀に臨まれる天皇陛下)

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