雅子さま

雅子さまから頂いた「勇気」 少女を動かした奇跡とは

文/歩紀柚衣、取材・構成/宮本タケロウ

雅子さまにお会いするために…

「雅子さまにお会いするために、頑張って来たんですよ」

ホッコリしたえくぼが特徴的なアヤノさん(仮名、21歳)はそう言って笑った。

アヤノさんが思い出すのは先月26日のことだ。天皇、皇后両陛下は、橿原神宮で「親謁の儀」に臨まれるため、奈良県の橿原市に行啓した。アヤノさんは両親と一緒に橿原神宮駅前と宿泊したホテルの前で両陛下をお迎えした。

行啓からもう一カ月前が過ぎたが、アヤノさんはその時の様子をまるで昨日のことのように思い出す。

「雅子さまに、一目会いたい、会いたい、会いたい…ただそれだけで、頑張って来たんですから」(アヤノさん、以下同)

実はアヤノさんには、どうしても雅子さまに会わなければいけないワケがあったのだ。

アヤノさんと雅子さま

アヤノさんが生まれたのは1998年の4月。両陛下のご成婚から5年後のことだ。「小和田雅子」時代を知らない世代のアヤノさんにとっては、雅子さまは美しい皇太子妃としてテレビに映る、憧れの存在だった。

愛子さまが誕生した2001年にはアヤノさんの妹も生まれた。愛子さま誕生を伝えるテレビを両親と見ていた時、当時3歳だったアヤノさんは「赤ん坊」を妹しか見たことがなかったため、「テレビにいるあいこちゃんは、アヤノの妹なの?」と言って、両親に笑われたこともあったらしい。

穏やかな奈良県の片田舎ですくすくと育ったアヤノさんだったが、2010年の4月、県外の中学校に進学したのをきっかけに、突然クラスでいじめの対象になった

「理由もなく、上履きに砂を入れられたり、朝来たら黒板に悪口が書いてあったり、一日中無視されたり…休み時間が苦痛で仕方なかったです。授業中の1時間だけが唯一休める時間で。あとはもう、通学路歩くだけで悪寒がする…おそらく私も適応障害だったのかもしれません。とにかく毎日地獄のようでした」

いじめを受けたアヤノさんだったが、両親には相談できなかったらしい。

「親が共働きで忙しくて、妹が実は発達障害なんです。母は特に妹のことで一杯一杯でしたから、私は自分でなんとかしなきゃって思って。今思えばもう少し親から先生に言ってもらってってのもあったんでしょうけどね。とにかく当時は私さえがんばれば丸く収まるんだからって、ずっと頑張ってました」

学校生活を続ける中、毎週水曜日の一時間目がホームルームに充てられるため、次第に水曜日を休むようになった。

私には雅子さまが一緒だから…

辛い日々が続く中、ふと、母が買った女性誌が目に留まった。そこには不登校に悩む愛子さまと付き添い登校を続けられる雅子さまの記事が書いてあった。

「それ読んだ時、『あ、愛子さまも不登校なんだ…』って、もう良い意味で衝撃でしたね。『そっか、私だけじゃなかったんだ…』って。しかも、『付き添いで学校に来てくれるお母さん』って…それを読んだ時に、なんか、本当にうれしくなっちゃって(笑)。

忙しい私のお母さんに代わって、雅子さまが一緒にいてくれる、一緒についてきてくれるんだ。『私には雅子さまが一緒だから』、そう思うと、スッと気持ちが楽になる瞬間があったんです。『愛子さまも辛いよね、でも、一人じゃないから、私も愛子さまの味方だよ』って、学校に行くときにそう思いながら行くと、頑張って歩けるんです」

アヤノさんは週刊誌の雅子さまと愛子さまの写真を切り取り、お守りのようにして鞄に忍ばせ登校した。当時、雅子さまは適応障害を患っていたが、中学生だったアヤノさんはそのことを知らなかったそうだ。

アヤノさんは「お守りのお陰で」次第に学校に通えるようになったらしい。

「二学期にはイジメはなくなって、普通に通えるようになりました。『お守りのお陰』というか、きっと、雅子さまと愛子さまのお陰で私は強くなれたたんだなって。雅子さまのことを見ていることで、私は強くなれたんだなって、そう思うんです。

あとから知ったんですが、付き添いをされてた時の雅子さまも病気で辛かったんですよね。自分も辛いはずなのに。なのに、頑張ってバッシングに戦いながら付き添ってくれた。だから、一言お礼を言いたい。『雅子さまが頑張ってくださったお陰で、私、学校に通えるようになったんですよ』って、ずっと伝えたかったんです」

雅子さまにやっとお礼を言えた日…

そしてやっと、先月26日、奈良県に両陛下のご行啓があった。アヤノさんは両親と妹と、橿原神宮駅に向かった。「橿原神宮駅」と書かれた古い駅舎から、天皇陛下、次いで雅子さまの姿が見えた。アヤノさんは大声で叫んだ。

雅子さま 雅子さまのお陰で、私は いまここにいます 本当に 本当に 有難うございました…!

歓声にもみ消された声はきっと、雅子さまの耳には届かなかったかもしれない。しかし、アヤノさんは「別に(笑)、心は通じていますよ」と気にせず、いっそう素敵なえくぼを作って、スマホに撮った写真を見せてくれた。

(「写真は使わないでください」とのことだったので、外部提供写真)

「見てください。両陛下のこの笑顔。私はこれだけで今まで生きてきました。これからも、雅子さまがいてくださるから、私は生きていけます」

華々しいキャリアを犠牲にして皇室入りした雅子さまだが、「皇太子妃」という役割を模索するうちに、長らく病気に苦しんだ。

今日の雅子さまの笑顔を「辛い経験が糧になって…」という陳腐なセリフでは決して表現することはできない。そんな安っぽいセリフはむしろ雅子さまの言葉に出せない苦しみを覆い隠してしまうだろう。

しかし、これだけは言える。華々しい経歴も、辛い日々も安らかな日々も全て背負った皇后・雅子さまのその姿に、人々が生きる力を取り戻し、アヤノさんのような傷を負った人の心を癒すのだ、と。

最後にアヤノさんは鞄から取り出した「お守り」を大切そうに撫でて、こう言った。

「はやく、愛子さまにも感謝を伝えたい。『奈良で待っています』と、絶対に記事に書いて下さいね!」

愛子さまの成年と地方公務が待ち遠しい。


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