雅子さま

雅子さま「希望詠む姿」に共感 あるシンガーの物語

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文/歩紀柚衣

17年ぶりの歌会始

新年恒例の「歌会始の儀」が1月16日、皇居・宮殿で行われた。令和最初の題は「望」。

皇后雅子さまが2003年以来17年ぶりに出席され、晴れ晴れしいお姿に安堵した人も多いだろう。

お題は「望」であったが、天皇陛下は子供たちの将来が明るくあってほしいとの願いを歌にし、雅子さまは昨年末、台風19号で被災した宮城、福島両県で被災者を見舞い、高校生のボランティアらをねぎらったときの情景を想い、若者が人々に希望や勇気を与えていることを頼もしく思った気持ちを表現した。

天皇陛下御製 《学舎にひびかふ子らの弾む声さやけくあれとひたすら望む》

皇后陛下御製《災ひより立ち上がらむとする人に若きらの力希望もたらす》

ともに、希望の未来を象徴する歌である。

さて、国民を温かくする両陛下の御製だが、「雅子さまの御歌にメロディーをつけて歌う人がいる」と聞いて、筆者は埼玉・大宮駅に向かった。

雅子さまの御製を弾き語る歌手

歌い手の名前は大村健(たける)さん。大宮駅西口のそごう百貨店近くの立体通路で4年前から不定期で歌っている。

「私が雅子さまの歌にメロディーをつけて歌い出したのは4年程前からです。ご自身が病気で苦しんでいらっしゃるなか、温かく、国民を励ます歌を詠んでくださる雅子さまの姿に感動して、いろんな人に雅子さまの素晴らしさを知ってもらいたいと思ったのがきっかけですね」

聞くところによると、大村さんは岩手県大船渡市の出身。2011年の東日本大震災の際に、両陛下(当時皇太子ご夫妻)が慰問に訪れた被災地だ。

「当時は僕は埼玉の大学に行っていて、両陛下がいらしたときは岩手にはいませんでしたが、実家に帰ると両親や親戚がずっと両陛下がいらしてくれた話をしてくれて、新しい希望がそこで生まれた空気がありました」

話もそこそこに大村さんは歌を披露してくれた。

「僕がよく使うメロディーは『千と千尋の神隠し』の主題歌だった木村弓さんの『いつも何度でも』です。 例えば、今年の歌《災ひより立ち上がらむとする人に若きらの力希望もたらす》、 これを歌い出しに、昨年や一昨年の歌を繋げて行きます。

災ひより立ち、上がらむとする人に、若きらの力、希望もたらす

復興の住宅に移りし人々の、語るを聞きつつ、幸を祈れり 君と見る波、しづかなる、琵琶の湖、さやけき月は水面おし照る

ここで歌を歌うと、結構みんな足を止めてくれるんですよ。古文風の歌詞が珍しいのかもしれません。時々、歌を歌っている最中に涙が出てきてしまうんですが、特に『幸を祈れり(平成30年)』と『君と見る波、しづかなる(平成6年)』が続く箇所です。

平成6年はご結婚直後の新鮮な喜びを表した歌で、平成30年の雅子さまはまだご病気で『公務に出ない雅子さまが皇后になるのか…』という周りからの酷いプレッシャーに耐えていた時期です。新鮮な喜びと続く悲しみ…これが一つに繋がるんです。歌には『言霊』があると言いますから、雅子さまの想念が言霊になってぐっ…と伝わってくるんです。

喜びも悲しみも、全てを共に経験した、大切な人と静かに幸を祈ろう』

と、この箇所は歌うだけで涙が出てきますね」

僕の前世は歌人だった…

大村さんは「きっと僕の前世は歌人だったんです」として、雅子さまの歌を歌い続ける意義をこう語る。

「人間の魂って何度も生まれ変わって、その人生の約束を果たすためにこの世にいるんです。雅子さまも天皇陛下もそう。雅子さまがこの世に生まれたのは、皇后になるという約束を持ったから。

『雅子さまは皇室に不適格』と悪口を言われた時期もありましたが、絶対おかしいです。世界一素晴らしい天皇陛下がお選びになった方は、世界一素晴らしい皇后陛下に決まっているから。

病気になったのもそう。世の中の不遇・不条理・悲しみ・苦しみを雅子さまが一身に受け止めてくださったから、雅子さまは病気になられたんだと思います。

間違いないのは、令和になってそれが浄化されつつあるんですよ。歌を歌うことで、僕はこの世の悪い想念を癒すお手伝いをしたい、それが僕が生まれた約束なんだろうと思います」

大村さんは大宮駅西口を中心に不定期で雅子さまの歌を弾き語りしているとのことだ。現代に生きる苦しみを浄化したいなら、一度聞きに行くことを勧めたい。


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