雅子さま

雅子さま「今度はママが頑張るから……」 愛子さまに語られた“新時代”の決意

皇室に入られて初めての充実した日々

「自分の存在が何かの役に立てているのかもしれないと実感できたのは、皇室に入って初めてのことかもしれません」

皇后雅子さまは、最近、ある宮内庁関係者にこう心境を漏らされたという。

雅子さまは、外務省勤務を経て、29歳でご結婚され、皇室に入られた。しかし、その後の26年間の皇室生活はまさに苦難の連続であった。皇室入りされる前には、ハーバード大学を卒業し、外務省に勤務し、まさにキャリアウーマンの象徴と呼べる存在であった。

「海外生活や外務省でのキャリアを生かし、皇室外交などの役割を積極的に担っていきたい」そのように考えていた雅子さまだが、残念ながら、そのような希望が叶えられることはなかった。




公務とお世継ぎへの期待

社会で働いた後に皇室入りされた初めてのケースであったが、ご自身のキャリアを生かしたい、と考えていた雅子さまは、期待と皇室内で生活の現実とのギャップに苦しむことになる。

ある皇室ジャーナリストは次のように語る。

「当初、海外生活の経験や外務省での勤務経験などのキャリアを生かし、積極的に皇室外交を行いたいと希望していた雅子さまでしたが、当時、皇室や国民の間で期待されていた役割は、公務とお世継ぎの二つでした。

当時の宮内庁の幹部の中には“雅子妃は外国に行きたがってばかりで、お世継ぎ問題を真剣に考えていない”と歪んだ見方をする人も多かったのです。

もちろん、両殿下もお子さまの誕生を待ち望んでいたのですが、恵まれませんんでした。愛子さまがお生まれになったのは18年前のことですが、当時は“子どもができるのは当たり前で、できないのは女性が悪い”という強い時代錯誤な偏見が残っていたのです」(皇室ジャーナリスト)

愛子さまの不定期登校

愛子さまご誕生の前から、お世継ぎについての重圧で雅子妃は疲弊していた雅子さまであったが、その後も苦労の連続であった。

2001年に愛子さまがお生まれになった3年後の2004年には適応障害と診断され長期間の療養生活に入られる。さらに、愛子さまのご入学後には、学習院初等科2年のときに「通学への不安」から不登校ぎみになる時期もあった。

また、愛子さまの登校が不安定な際には、雅子さまが同行されることも多かった。まさに、親子二人三脚で、愛子さまの抱える問題を乗り越えていった。この時期は、まさに愛子さまが立派に成長するためだけに尽くした期間であるともいえるだろう。




新皇后への決意

令和の時代を迎える直前の4月には、愛子さまが毛筆で「令和」と書いた半紙を自室に貼り、雅子さまは即位に向けてお気持ちを奮い立たせていたそうだ。

また、ある時には、愛子さまに向かって、即位に向けての決意の言葉を口にしたこともあるそうだ。ある宮内庁関係者は次のように述べる。

「それは、雅子さまの皇后即位の日が目前に迫っていた4月のある日のことでした。ふと、愛子さまに向かって“今度はママが頑張るからね……”と、そのような言葉を口にされたのです。

愛子さまも、これまでの苦労や、様々な困難を雅子さまと共に乗り越えてきた過去を思い出だされていたのでしょうか?少し涙ぐまれた様子で、たった一言“ママ頑張ってね”そうお返事されておりました」(宮内庁関係者)

多くの時間を共に過ごし、様々な困難を乗り越えてきた母子に多くの言葉は必要なかったのであろう。たった一言の言葉のやり取りで全てを理解したかのような様子であったという。

雅子さまと愛子さまが経験された苦悩や、乗り越えられてきた困難の数々は、令和の皇室を、語るうえで決して欠かすことは出来ない。数々の困難を乗り越えてきた天皇家のご一家であればこそ、今後起こるであろう様々な問題もきっと乗り越えていけることだろう。

(編集部)

https://kikunomon.news/article/5135

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