皇室

愛子さまは本当は生まれてなかった? 「側室なしで男系維持はムリ」を実証的に完全論破!(宮本タケロウ)

側室なしで男系維持は可能か?

宮本タケロウ Twitter

 皇位継承の議論の際によく話題になるテーマに、「側室」があります。

 主に女系容認派からは「側室制度なしでは男系継承は不可能」と言われます。確かに明治以前の皇室では側室制度があり、歴史上、皇統の男子の約半数が側室の子だったということを考えると、万世一系の男系継承は側室制度により支えられていたというのは間違いありません。

 しかし、これに関して男系維持派からは「昔は乳幼児死亡率が高かったから側室が必要だっただけ」という主張があり、よく討論になります。例えば2006年の週刊新潮での対談です。具体的に見ましょう。

医療の進歩によって、側室は不要となったのか?

 静岡福祉大学の高橋紘教授は「側室なしで男系継承は不可能」という立場でこう言います。

「男系による皇位継承は(中略)現実に対応出来ません。明治以前は側室制度があり、男子誕生を担保することが出来た。事実、125代の天皇のうち、約半分は側室のお子です。大正天皇も明治天皇も、さらに、孝明、仁孝、光格、後桃園天皇も同様です。しかし、いまや側室制度はなく、各妃にとって男の子を産まなければならないことが重圧となっています

『週刊新潮』2006年9月21日

これに対して、男系派の國學院大學教授・大原康男氏が「医療技術の進歩」をもとにこう反論しました。

側室制度が存在した当時、乳幼児の死亡率は極めて高かったのです。明治天皇のお子で成人なさったのは5人のみ。3分の1です。いまでは3人生まれれば3人とも成人するのが通常です。したがって、側室制度の廃止によって即ち男系男子の皇統維持が困難になったとは言えません

同上

 このように、側室の必要性は、多くの場合平行線をたどります。

机上の空論が多いのが特徴のこの話ですが、今回は医療技術の進歩と皇室の関係を具体的に見ていきたいと思います。

美智子さまの流産

 まず、美智子上皇后の事例から見ましょう。

 上皇后・美智子さまは徳仁親王(現天皇陛下)出産後の1963年、第二子を妊娠されましたが、残念ながら「異常妊娠」と診断され、流産の手術を受けられました。この時の診断名は絨毛性疾患の「胞状奇胎」子宮内で癌になる可能性もある恐ろしい病気でした。

胞状奇胎は染色体の異常によって起きるもので、(中略)正常な胎盤を作る柔毛という組織が変化して、一つ一つが膨張しブドウ状となって子宮内に充満し、胎児は死亡し母体にもさまざまな危険が伴うと言われる。

工藤美代子『皇后の真実』

数年前なら、秋篠宮さまと紀宮さまは生まれていなかった…

「胞状奇胎」はその後の妊娠が不可能となりうる病気ですが、なんと現在の治療法が確立したのは1956年でした。

1950年代前半までは手術療法が主体であり、なお絨毛性疾患の予後は極めて不良であったが、1956年、C.H.リーらが初めてメトトレキサートを使ってその有効性を報告して以来、化学療法が治療の主体となった。

佐藤和雄『産婦人科の過去から未来へ』

 いかがでしょう?

 美智子さまの流産は1963年、有効な治療法が報告されたのが1956年です。予後が極めて不良だった「胞状奇胎」ですので、医療の進歩が数年遅れていれば、(恐れ多いですが)流産後の美智子さまは妊娠ができなくなっていた恐れがあり、秋篠宮さまと紀宮様(黒田清子さん)はお生まれになっていなかった可能性が高いと言えるでしょう。

雅子さまの流産

 以上のように医療技術の進歩がなかったならば、上皇陛下のお子様は現天皇陛下だけであった可能性が高いです。

「それでも、両陛下のお子様、愛子様がいらっしゃるから大丈夫ではないか」

という声も上がるかもしれませんが、状況はそう甘くありません。

そうです。雅子さまも異常妊娠を経験されているからです。

 1999年の12月、ご結婚の6年後、雅子さまは第一子を妊娠されましたが、安定期に入る前に残念ながら流産の手術を受けられました。この時の診断名は「稽留流産」でした。

稽留流産:

胎児が子宮内ですでに死亡しているにもかかわらず、流産の兆候なく子宮内にとどまっている状態。妊婦に自覚症状はない。「子宮内胎児死亡」と呼ばれることもある。

『助産学体系』日本看護学協会出版会ほか

医学の進歩がなければ、愛子さまも誕生していなかった

 妊婦に自覚症状がないのがこの症状の怖い所です。この症例は一般的に超音波画像診断(エコー検査)で胎児の心拍がないことなどを確認して診断しますが、ではエコー検査はいつ実用されたのかというと、なんと日本では1960年代でした。

我が国における産科・婦人科領域における超音波診断は、順天堂大学名誉教授の和賀井敏夫(1924年~)のもとにおいて初めて行われた。1963年、同大では科研費でAモード診断装置を購入していた・・・

佐藤和夫『産婦人科の過去から未来へ』

 妊婦に自覚症状がないため、エコー検査等による適切な診断ができないと非常に危険です。『助産学体系』にはこうあります。

稽留流産あるいは妊娠後期の胎児死亡ののち、死亡した胎児や付属物に由来する組織が母体血中に流入するとDIC(血液凝固症候群)を生じ、母体の生命を脅かす場合がある。これを死胎児症候群という。

『助産学体系』 日本看護学協会出版会

 いかがでしょう?「死胎児症候群」は、今日でもたくさんの死亡例がある恐ろしい症例です。また、術後は抗生物質の投与が欠かせませんが、ペニシリンが発見されたのは1928年でした。

 このように、現代医学の飛躍的な進歩があったこそ、雅子さまは「稽留流産」を乗り越えたと言えるでしょう。そうでなければ、2年後に愛子さまが誕生されることはなかったかもしれません

皇室史上初、帝王切開で生まれた悠仁さま

 最後に、忘れてはいけないのは悠仁さまも帝王切開で生まれたということです。

 紀子さまが悠仁さまを身ごもった時は、胎盤が産道をふさぐ前置胎盤という、出産時に大量出血が予想される非常に危険な妊娠であり、近代以前であれば間違いなく堕胎の処置がとられたか、死産となっていたでしょう。帝王切開の母体死亡率は19世紀半ばでは85%であり、現在の安全性が保障されるようになったのは1950年になってからです。

 悠仁さま誕生の際に上皇后陛下(当時、皇后陛下)もこう述べています。

 私が初めて子どもを授かった40数年前,前置胎盤は非常に恐れられていた状態でした。(中略)現在も危険の可能性こそ変わりませんが,その後の医学の進歩により,安全なお産に導いていただけることを知らされ,安堵いたしました。

宮内庁ホームページ  皇后陛下お誕生日に際し(平成18年)

 悠仁さまは、40数年前の医療水準では、生まれていなかった可能性が非常に高いと言えます。

側室制度廃止の穴を医療技術の進歩が埋めている

 母子保健医療に詳しい専門家は、筆者に次のように語りました。

「雅子さまの「稽留流産」については、自然流産も見込まれるので「愛子さまが生まれていなかった…」はやや言い過ぎかもしれませんが、決して可能性は否定できません。また、悠仁さまの「前置胎盤」のケースは明治時代だったら母子どちらかを犠牲にしていたのは間違いないでしょう。

問題は美智子さまの「胞状奇胎」の症例に関してです。これは外科手術がマストなので、医学の進歩がなければ妊娠を望めない状況となっていたケースであり、明治時代であれば側室を置いて第二子、三子を期待したのは間違いありません。にも関わらず、その後も美智子さまが2人もお子様をお産みになれた理由に医療の技術進歩があるのは間違いないでしょう。

 側室制度がなくなった穴は医療技術の進歩で埋められています。健やかに育つ愛子さまと悠仁さまの御存在自体がそれを証明していると言えるでしょう。

この実例に多くの国民はなぜか気づいていません。


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