悠仁さま

週刊誌2誌で評価は真っ二つ…悠仁さまがそれでも「東大に合格」できる仕組み

共通テストが悠仁さまにとって最大の難関のようだが、過去に東大の学校推薦に合格したケースでは、共通テストの成績よりも提出した書類や面接の方が重要視されているという。

「悠仁さまにとっては実に“お誂え向き”の入試である」(新潮)。悠仁さまは昨年11月に赤坂御用地に生息するトンボの生態をまとめた論文を、「国立科学博物館の研究主幹らとの共同執筆で発表なさっています。また今月25日から京都で開かれる『第27回国際昆虫学会議』でも『皇居の動物相モニタリング調査』という研究をポスター形式で発表なさるご予定なのです(宮内庁担当記者)」と同誌。

 一流の学者との論文執筆、国際学会への参加など、一般的な高校生には縁遠いことをいとも簡単に成し遂げている。精神科医で受験アドバイザーの和田秀樹は、「特に悠仁さまのようなお立場であれば、高校側は配慮せざるを得ない。(中略)大学側にとっても、不合格にするという選択肢はないのです」と話している。

 一方の文春はこうだ。

「小誌は今回、筑附高の関係者から、衝撃的な証言を得た。『じつは高校側は、悠仁さまに頭を悩ませている。(中略)目下の問題は、学業成績についてです。悠仁さまは、率直に申し上げて“異例の成績”なのです』」

 さらに、くだんの関係者はこう言うのである。

「生物を除いては、文系科目も理数系科目も成績が伸び悩んでおられる。理解力を測るテストの点数が芳しくないと聞いています。筑附高では平均点も非公開で順位も明かされないため、同級生ですら彼の成績を知る生徒は限られる。ただ、この成績だと授業についていくのは難しく、ご本人も苦しい気持ちを抱えておられるのではないか」

 とても東大農学部の推薦入学に筑附高として推薦するレベルではないというのだ。

 真っ二つに分かれた両誌の評価だが、私はこう考える。母親の紀子さまは「初の東大卒の天皇」という夢に突き進んできた。宮内庁も黙ってみていることはなかったはずだ。9年前に東大が推薦型入試を始めたのも、このことと無関係ではないのではないか。

 たとえ「裏口入学」のそしりを受けても、今の秋篠宮家にとって“希望”はこれしかないのである。もし失敗するようなら、悠仁さまにとって大きなトラウマになってしまうかもしれない。

 明確な帝王教育の術をもたない秋篠宮夫妻が、唯一固執してきたのが「東大入学」であり、仕組みは出来上がっている。

 もっとも、首尾よく入学できたとしても「東大で終わった人」にならなければいいが……。(文中一部敬称略)

元木昌彦

『筑附で最下位の成績』というのは本当なのだろうか。
もしそれが事実なら、完全な落ちこぼれで、筑附だからこそ、そのレベルの高さゆえにどこから勉強に手を付けていいのか分からず、どうしようもない状態だろうから、申し訳ないですが日大でさえ無理。おそらく基礎力は完全に崩壊している。

東大を目指す受験生から文句が出ないのかねえ。今、受験生は学力向上のため必死こいて勉強しているはずだから、このようなヤフコメ欄には投稿するヒマなどないだろうが、内心はトンボ君を疎んでいると思っている。トンボ君とその母上はそうまでして東大を目指すつもりか。東大にはトンボ君を冷静に評価してもらいたい、権威を保つために。

東大の推薦入試は共通テストの成績が一定の基準に達していないと合格できないはず。筑附で最下位の成績でそんな点数が取れるのか。そもそも論文も一流学者との共著であって、実質的にはこの学者の論文と考えて間違いない。そんな状況でも東大は合格させるのか。きっぱり不合格にしたら、世間から喝采を浴び、東大の権威を高めると思う。


POSTED COMMENT

  1. 匿名 より:

    ブスすぎる

    • 匿名 より:

      このズルガキを皇族とは思わない。はやくいなくなれ。

    • より:

      東大OBの方から、反対署名運動が起きています。署名しましたよ。

    • 匿名 より:

      学校推薦では普通は共通テストで高点数でクリアしないと合格に成らないが、週刊誌で親切、丁寧に論文重視、共著OK?共通テストは重視しないと、前置きしてる?ツクフは学業成績不良で頭を悩ます?と報道しているけれど?忖度してインチキ成績表作成し、東大へ提出したら?東大側は不合格なんて出来なくなるよね?こうやって、皇統乗っ取りに加担してしまうんだろうね?偽の皇統なったら?この国がどうなってしまうのか???考えないのだろうか?…将来、其れ其れの子孫に自信を持ってバトンタッチ出来るんだろうか?子孫が生きづらい世の中になってしまったら如何するんだろうか?其れこそ、戦前のように餓死、病死、生活保護者が増えるようになるのでは?
      東大、ツクフが合格するようにしたなら?この国も終わる!

    • 匿名 より:

      アホクサ!

      戦前の華族は学習院でれば東大いけた!

      そのながれで悠仁は東大にと!
      戦前なら当たり前。

      アホなのは現代は戦前ではありません!

      皇室天皇制度があるからこのような不条理なこと起きると国民に印象づけている。

    • 匿名 より:

      昭和天皇がご存命ならこんな馬鹿な事態はおきなかった!

      しっかり皇族たちには意見をいい宮内庁と連携して国民を大切に考えていた!

      令和になり徳仁天皇は全く皇室ににらみは効かせられない!
      宮内庁とも連携できない、

      この人が天皇何ですか?

    • 匿名 より:

      令和で全く国民の役に立たない皇室天皇制度

      廃止して、

      年間500億円は子供たちのために使いましょう❗️

    • 匿名 より:

      皇室は美智子が終わってました!

      次男はジャンキーになり家族はばらばら!

      長男は家族と母親第一に考える天皇。

    • 匿名 より:

      秋篠宮家はアンポンタン揃い!
        ↓
      >プリンセス、カコによると、
      9÷3=2 となるそうです。

      私が子供の頃は小学校3年で九九を習った。
      又、悠君は家庭教師に「小学5年から、学び直した方がいい」と言われたとか、、
      恐らく家庭教師は遠慮してそう言ったのでは?
      本当は小学3年程度では?

      ハテサテ、秋篠宮家のヒトヒトには、驚かされますね。最高の環境にありながら、小学校低学年程度の学力もない?!

    • 匿名 より:

      偽皇族の【三馬鹿トリオ】が、しょっちゅうご公務と称して出てくる。

      頭がカラッポと分っているので、阿呆くさくて、馬鹿らしくて、、

      コイツラが関心あるのは、ナニとお金だけ、、

      出てきて欲しくないよ。 早く皇室出ていってくれ!

    • 匿名 より:

      >勝手なことをした者たちのなれの果て

      2024年07月29日 ブログ、ブルーサファイア

      上記文言で検索を、、

      >日本の国民が払っている税金を使っていないのなら、この人たちがどうしようと、どうなろうと興味関心はないのですが  
          (中略)    
      “眞子さんファースト”生活に暗雲…小室圭さん「米政府担当」チームがHPから消滅(女性自身) (中略)

      記事には
      「今年2月、勤務先である法律事務所『ローウェンスタイン・サンドラー(以下、LS)』での業務に『CFIUS』という分野が追加された小室圭さんですが、これまで“関連分野”としてホームページ上で公表していた『G-BRIDGE』が、7月22日時点で消えていたのです」
          (中略)
      要するに、KKさんにはお仕事の実績がなく、LS社もいつまでも特別待遇という虚飾に加担することをしない、ということ?

      それか、KK負債をサポートしているチームが、こういう形でいつまでも形ばかり整えても、一向にこの二人が自分たちで生きて行こうとはせず、それどころか自堕落な生活をし続けて、もはや写真にも出ているように落ちぶれ感が半端ない。

      それで路線を変えようとしているのでしょうか。

      もしくは、実家のA宮家の継承はないとなり、大幅な路線変更をしようとして方法を探っている…とかだったらいいですね。
          (中略)
      それとぼったまのことも記事になっています。

      「東大の推薦だけは」宮内庁が心配してシミュレートする悠仁さまの進学先(デイリー新潮)
       
      記事より

      これを見守る宮内庁は独自の動きを展開しているという。

      「悠仁さまがどこの大学を志望され、進学されるのか。それぞれの場合に分けて国民の反応をシミュレートしているそうです。その中で最も懸念されているのが“東大の推薦”というワードだということでした」

      これって今ちょっと思ったのですが、
      国民の皆さん、この人たちはマジでやりますよ。
      その際どうかお手柔らかにね、とでも言っているのでしょうか

      971はあの負債がどうやってもトーダイに入れるとこだわっていて、それをやってしまった場合の国民の反応…大炎上を心配しているということですね。

      恐らく、このままだとあの負債…特にキコ妃は絶対に諦めずに入れてしまうだろうから、そうしたら、国民の間から特別扱いしていると(中略)

      知らんよ、そんなこと。

      国民はそうなったら、全力で批判しますよ。

      それを止められなかった971の責任もね。

      父親は京都の嵐山通船の問題も抱えていて

      母親は、ショラテンの箔付けに必死で

      アネその1はNYで落ちぶれ果てていて

      アネその2は婚活が全く箸にも棒にもかからず、国民に話すつもりはありませんなどと大口を叩いた割には何もなく

      ぼったまは毒母の言いなりで…アッチ向けと言われればアッチを向く状態

      嵐山と言えば、嵐山通船の社長さんが、あまりに嫌がらせが続いたことから、今度の裁判時にする記者会見では、全てのことを話すつもりだと話していました。

      私はこの社長の男気に感心していて、毎日無事を祈っています。

    • 匿名 より:

      ひさ棒、准教授のサギの片棒をしているおじ様の大学なら、大丈夫じゃ!

  2. 匿名 より:

    俗に言う「東大で終わった人」は確かな学力を身につけているし、高いレベルの師や友人を得ている。分かりやすい出世をしなかったとしても、自分の高めかたを知っているので、自分の道が見つかれば切り開いていくだろう。

    坊ちゃんの場合、東大強行は終わりの始まり。
    国民の信頼を著しく裏切るという意味でマコサンの結婚強行と同様。疑念の目が常に光り、自らの力がなければ落ちぶれる、と結果が見えている。
    同じ過ちを繰り返す事で、自体はますます厳しいものになるのが、秋夫妻には分からないのだろうか。

    • 匿名 より:

      知障天皇は愛子をズル進級卒業させた。
      皇室の長、徳仁がこれだもの。
      徳仁の水の研究論文も指導者(共同研究者)がいるに決まってる。
      秋篠宮家を責められる訳がない。
      責めるなら徳仁を責めろ。

  3. 匿名 より:

    悠仁様の東大裏口ご入学を支持するものです。皇室の権威を高めるもので価値ある物です。皇室と秋篠宮の万歳を祈ります。行こう東大へ、そしてトンボの研究をしよう!

    • 匿名 より:

      トンボ学部なんてないよ!

    • お耳に何か付いてるし、髪も何か付けてる より:

      17:34『“百獣の王”武井壮 中高成績学年トップで学費免除 高校の部活動は「文化部」知られざる経歴明かす』(スポ日)

      大学へは「勉強で入って。中高6年間学年トップで、特待生で1円もかからずに無料で行けた」と誇らしげ話すが「それは親がいなかったんで、そうせざるを得なかったんですけど…」。

      9歳の時に両親が離婚し、父に引き取られるも小学生にして2歳年上の兄・情さんと2人だけの生活で苦労したことも明かした。

      「(中高は)タダで行けたんでよしラッキー!大学ではバイトしながら通えるから大学行こうっていって入試を受けた。部活で日本一にならせてもらってからその後スポンサーつくんだから、28歳まで自己資金1円も使ってない」と言い、人生何が起こるかわからないと語った。
      ┅ ┄ ┅ ┄┅ ┄ ┅ ┄ ┅ ┄ ┅
      血税をふんだんに使って、不正ズル不祥事で、陰気な馬鹿者で、しかも 贋皇族……皇族に踏ん張ってる“男”なら⁉️

      武井壮さんの方が ずっと素晴らしいよ❗️
      実績が有るから、イキイキしている‼️
      フニャフニャ男に箔付けしても、屑は屑

    • 匿名 より:

      金銭に目が眩んで、圧力に屈して箸にも棒にも掛からない盗作君を受け入れると同時にその学校の信用は失墜する事でしょう。
      OBやOGは其を許さないと思い入れ。

  4. 匿名 より:

    我们中国人希望爱子公主继承 天皇
    悠仁不太合适皇族

    • 匿名 より:

      OBやOGのチカラは凄いから・・・
      ズル没は心得るように。

  5. 天皇徳仁 より:

    『消えない怒り』
    私の名は秋本悠郎(仮名)。今年で88歳になる。74年前、私はわずか14歳で対馬丸に乗っていた。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
    魚雷が命中した瞬間の轟音。甲板に殺到する海水。友人たちの悲鳴。そして、どれほど泳いでも届かない救命ボート。
    1,484名の命が奪われた。私の級友たちのほとんどが海の藻屑となった。生き残った59名の学童のうちの1人として、私は生きている。しかし、本当に生きているのだろうか。
    あの日以来、私の心の中で燃え続ける炎がある。それは憎しみだ。アメリカへの、そして戦争そのものへの怒りだ。
    平和な時代になった今でさえ、私はアメリカ人を見るたびに体が震える。彼らは笑顔で観光を楽しんでいる。しかし、私の目には殺人者にしか見えない。
    「許せない」と心の中でつぶやく。しかし同時に、この怒りが私自身を蝕んでいることも分かっている。
    記念館ができ、慰霊碑も建った。しかし、それで償われるものではない。失われた命は戻らない。奪われた未来は取り戻せない。
    私は今も問い続ける。なぜ子供たちが犠牲にならなければならなかったのか。そして、この怒りをどこに向ければいいのか。
    平和を祈りながらも、私の心の中の戦争は終わらない。それが対馬丸の生存者としての、私の宿命なのかもしれない。



  6. 皇室は不要? より:

    阿呆な少年を日本の最高学府に入学させる為に、大の大人が莫大な税金を使い、入試制度を捻じ曲げ合法を装って裏口入学させようとしている。
    真面目に勉強している受験生を愚弄し、教育への信頼を破壊する蛮行。

    学歴に取り憑かれた頭のオカシイ母親と、金と女遊びしか興味のない無責任な父親、そこに計画的に産まれたワガママ放題のモンスター、押し付けられる国民は最大の被害者。

    嘘と不正にまみれ、国益を損ない、有害にしかならない皇室、そこから導かれる結論は 「皇室廃止」だろう。

    • 匿名 より:

      徳仁は知障、雅子は不倫男遍歴ズル学歴精神病ディスチミア症候群、愛子はズル学歴入社自閉症ドブスだもの。
      世界に恥をさらす皇室は廃止にすべき。

    • 匿名 より:

      署名活動の弾圧に走るか?
        ↓
      >971に署名活動のことを問い合わせしたらしいyo

      2024.8..14 ガールズ訪問/皇室まとめ回顧録

      上記文言で検索を、、

      >アキシンが
      971に署名活動のことを問い合わせしたらしい。
      上層部と対応検討するらしいが、何らかの対応するほうが問題だろ。
      国民の意見の一つを力で潰そうって事?
      力で押し潰そうとすれば拡散激しくなりそうだけど。

      東大署名について宮内庁に電話しました
      広報課の女性に丁寧に話を聞いていただきました
      既に情報提供が何件もあったらしく対応について上層部と検討するとのこと。
      大変悪質な内容であるため、切に対応お願いしました。
      なお、署名提案者と思われる者のXアカウント名も情報提供しました。

    • 匿名 より:

      同感です。

    • 匿名 より:

      17:32様
      同感です。

  7. 一言主 より:

    敬宮様の立太子を求める声をあげていきましょう。

    • 匿名 より:

      しつこいな菊紋!
      数日連続悠仁さんを貶める記事ばかり!
      知恵がない、芸がない、井戸端会議のオバさんサイト!
      天皇皇后内親王をネタにできないのか?
      愛子は日赤通勤してるのか?
      まともな情報を載せろ!

    • 匿名 より:

      おっしゃる通りです!
      皇太子のティアラを制作した後は、宝冠の準備も必要です。
      江戸時代の後桜町天皇以来の女性天皇となるので、装束の準備などワクワクしますね。
      学者先生と職人さんに協力して貰って、至高のデザインを極めて欲しいです。

      迷惑一家には速やかに退場いただき、ワクワクする未来へ。早く進みたいものです。

    • 匿名 より:

      皇室典範改正されて、敬宮様の一日も早い、立太子されますように声をあげて行きましょう。

  8. 匿名 より:

    雅子を慰めたい

  9. 匿名 より:

    「バカとブスこそ東大に行け」という言葉がある
    バカでありブスな愛子こそ東大に行くべきだと思う
    聡明でイケメンな悠仁さまは東大に行く必要がない

  10. 妄想捏造の応援団❗️ 事実や現実を‼️ より:

    元木昌彦さん、またしても、だらだらと長い記事を出しました。
    たいてい、記事を読まず、秋篠家応援団は徹底的に捏造で天皇家を侮辱(いつものメンバー…増えてる‼️)、今までの秋篠家のズルを書いた投稿(過去記事や実態)には 無様に噛みつく、菊紋と同じ。

    さて、いつもの「過去を消す 自称東大卒」は、昨日も今日も12位 投稿…が、すぐに自分で自分の投稿を削除する(バレバレなのに)、こんな輩に絶賛される鯰の長男、情けないよね。

    【hlv********】8/18
    ◈悠仁さまの存在が 我々日本国民に希望を与えてくれますよ。
    悠仁さまへの感謝の気持ちをもたないと情けないよね。 わかってますか?

    ◈悠仁さまあっての皇室です。
    失礼な言動は控えるように!

    ◈東大卒です。我々東大関係者からしたら悠仁さまの東大進学は悲願です。
    悠仁さまの実力なら無試験が当然のことです。 部外者の頓珍漢なコメントは控えていただきたい。

    ◈悠仁さまは筑附でもトップクラスの成績ですよ。 無試験入学じゃないと納得できませんよ

    ◈東大卒です。悠仁さまの東大進学は我々東大関係者の悲願なんですよ。 部外者がいい加減な批判は控えないといけないよ。 反省してください。

    文春が「異例の成績」、“network akamon”が ズル入学反対署名活動も知らないようだ。秋篠家応援団って、ネット難民で、妄想の世界に住んでるたよね、反省してほしいよ‼️



  11. 今も続く 報道規制 より:

    13:00『皇位継承権ってなんのこと~?』

    ・わずか5分くらいの映像で100回位、 このお目目パカーンするんだけど ほんとに大丈夫なんだろか(鯰の写真)

    ・鯰、 金髪のヅラかぶってますね

    ・ホールに座った時の鯰の分け目が気になった。 頭頂部までなら不思議ではないけど、後頭部まで分け目が続くって どんな髪型してるんだろう?(写真)

    ・トン坊、 なんだか木でできた人形みたいだわ(カピ子さんのイラスト)

    (写真:ブータンの王子と)
    ・武士のコスプレ 恥ずかしい

    ・交流できてないじゃん 坊ちゃんが見てるだけ

    ・座り方だけでも気品の差がありすぎるんだが。
    しかも没のほうが歳上なのに。

    ・中学生ってのがびっくり 幼くみえる

    ・比べ物にならないくらい ご立派に成長されていますわ
    (写真:ブータン国王と王子)

    ・没は ブータン王子の家来に見える

    ・コスプレ海外観光

    ・ご両親は 秋夫妻のストーカー被害に遭われて お気の毒
    (写真2枚:英国王戴冠式で、ブータン国王に付きまとう鯰と鬼子)

    ・なにこれ? 普通に怖いんだけど。 金魚のフンじゃん。 え、超迷惑だよ!? えぇぇぇぇぇ〜!! 紀子、何しに行ったの? はずかしいって!

    ・この時のブータン王の表情が気の毒過ぎる

    ・鯰とギーコには キャサリン妃のツーショットないんだねw 普通キャサリン妃に会えるなんて嬉しすぎて 死に物狂いで英会話勉強会しない? 何とかお話したいわよね。

    ・鬼子、ストーカーだね。
    ナマズ手に入れるためにストーカーして成功体験があるから、自分の得になりそうな人にストーカーするタイプなんだろな。 キモ
    ・もういっちょ(写真)
    ・エア会話に 無視
    ꧁ ┄┅┄»»»◈ ※ ◈«««┄┅┄ ꧂
    ブータンで ボール送りして遊んで貰って「平民と遊んで楽しかった」と中一の没玉。ブータン観光の感想は「日本と似てる」…どこが?…「草とか木とか」

    • 匿名 より:

      息子:自分と同年代の高校生に向かって「ほんとうに一人で作ったんですか」
      娘:手話ができる自慢ばかり
      母親:沖縄の小学生相手に「子供たちにてづくりのちんすこうをたべさせたんですのよ、オホホ」
      アキ家の「公務」とは自分たちがマウントをとることが目的。
      二度とみたくない。

  12. 一言主 より:

    秋家父子が天皇になる事を国民が認めるでしょうか?

    ここまで信を失っては、、、

    もう、ジタバタするのはおやめになっていただきたいものです。

    • 匿名 より:

      一言主、愛子天皇派がジタバタ足掻いてるの間違いだろうが。

  13. YouTubeで悠仁君弁護…を図るも… より:

    YouTube「刺さらないニュース」から
    『悠仁君の同級生を名乗るSNSノマドが、突如 引退宣言』
    痛すぎるその理由
    ①本物の筑附卒業生が 嘘を指摘
    「悠仁様の赤点報道は嘘です、筑附は高一で『現代国語』『漢文』はありません」に対し「『現代の国語2』が有り『漢文』は『言語○○』に含まれている」と。
    ②「学生証」と出した物は、通学証明用の一部。しかも、2年半前
    ③account等の表記が、中年っぽい

    ノマドは、いろいろ理由を挙げて引退宣言。実際 使っている言葉が高校生らしくないから、実は成り済ましって❗️

    悠仁君の 小三発表の「点滅式3色信号機」なんて 昭和生まれの人しか知らないだろうし、「春飾り」「田舎の風景模型」「江戸城(制作費1億万円!!)」…
    その他いろいろ、年老いたプロが作ったとしか思えない物ばかり。
    蜻蛉相論文もね。ボロがポロポロ❗️

  14. 東大捩じ込みは、秋篠家と秋シンの希望…ね より:

    元木昌彦さん、いつもどっちつかずでありながら、秋篠家弁護。やたらと他の記事の引用が多い。
    今回の記事も、2つに分かれた「東大捩じ込み」について、分析してるようで、特権頼みの秋篠家に 呆れてように 皮肉をチクチク入れてるのが面白い。

    ・悠仁さまがそれでも「東大に合格」できる仕組み
    ・一流の学者との論文執筆、国際学会への参加など、一般的な高校生には縁遠いことをいとも簡単に成し遂げている。
    ・この成績だと授業についていくのは難しく、ご本人も苦しい気持ちを抱えておられるのではないか。
    とても東大農学部の推薦入学に筑附高として推薦するレベルではないというのだ。

    私はこう考える。
    母親の紀子さまは「初の東大卒の天皇」という夢に突き進んできた。
    宮内庁も黙ってみていることはなかったはずだ。
    9年前に東大が推薦型入試を始めたのも、このことと無関係ではないのではないか。

    「たとえ「裏口入学」のそしりを受けても、今の秋篠宮家にとって“希望”はこれしかないのである」

    今の秋篠家…ズルまっしぐらでやって来て、DNA鑑定も避けて、まともに英会話も出来ない 忖度頼みの秋篠家は❮❮東大入学❯❯しか 無い⁉️

    ┅元木さんの 結論┅
    明確な帝王教育の術をもたない秋篠宮夫妻が、唯一固執してきたのが「東大入学」であり、仕組みは出来上がっている。

  15. とほりすがり より:

    なぜ悠仁さまは東大合格が確実なのか?
    それは恐れ多くも天皇陛下が推薦状をお書きになるからです。
    どうやらこの問題は単純な善玉悪玉論では片付かない厄介さを抱えてしまったようです

    • 匿名 より:

      不正が好きだね徳仁は。頭も顔も身長も根性も歪んでる。
      こんな奴を崇める一部のネット民はクルクルパー。



  16. 匿名 より:

    はい裏工作で決まっている余裕ね

    あとは批判を何とかせねばと「のまど」出動
    紀子画策

  17. 匿名 より:

    この元木の文章、持ち上げているようで、実はきつい皮肉で溢れていて面白かった

    >たとえ「裏口入学」のそしりを受けても、今の秋篠宮家にとって“希望”はこれしかないのである。

    偽皇族で賎民妾の産んだ障害児をそれらしくまともに見せるには、東大のバッチしかないのであろう
    なるほどである

    >明確な帝王教育の術をもたない秋篠宮夫妻が唯一固執してきたのが「東大入学」であり

    偽皇族だから、そもそも明確な教育方針など立てようがない
    DNA鑑定から逃げまくり、海外からもペルソナノングラータ指定されて、欧州では殆ど入国出来る国がない

    部落解放同盟に担がれ、やっとこさ、部落解放のジャンヌダルクになろうかという女が満を持して産んだ男児は難聴だった
    「ほれみたことか」と世間は嘲笑する
    そんな背景もわからずに、偽皇族の妾でもいいからと皇室に近づいた女に同情はなく、これで一家崩壊、積木崩しのお始まりである

    • 匿名 より:

      雅子の不倫男遍歴は調査済だったから雅子はお妃候補から外された。 
      出自も怪しい小和田家。
      こんなアバズレ雅子を皇太子妃にしたから天照大神が怒り、自閉症愛子しか授けなかった。

  18. 匿名 より:

    人権擁護運動一家が希求したものは、長年解放同盟が敵視してきた皇室入りだった
    そこからして解放運動家としては矛盾だらけ

    要するに、人の上に立って威張り腐りたい、贅沢したい、それも税金で、というとんでもない了見の上に建てられた砂上の楼閣、「雲の階段」だったのだ

  19. 匿名 より:

    いつまでも何をやってんだ、コラ‼︎

  20. 匿名 より:

    悠仁はまずツクフを3年では卒業できないので、大学進学すべてNGとなる
    吉田氏も会見で、卒業時点で進学先がまだ決まっていない可能性があると予防線を張ったのも、訳がある

    悠仁を東大に推薦入学させる「仕組み」はあくまで彼が健常児であり、ツクフで恥ずかしくない成績を取れることが前提の計画だったが、文春既報、皇室新聞既報の通り、ツクフでの悠仁の成績は最下位であり、「人間性も最低」との評価で固まってしまった

    こうなると成績優秀、才能溢れる好人物の前提が崩壊してしまい、もはや為す術もない悲惨な状況なのだ

    • 匿名 より:

      バカ、ドブス愛子は、天皇の権力で学習院を進級、卒業した。
      悠仁さんも無事卒業できる。



  21. 匿名 より:

    週刊誌は購買数さえ増えればいい

    • 匿名 より:

      その通り。新聞広告の見出しを見ると一目瞭然だ。
      特にミテコセブン、週間ミテコ、ミテコ自身なんて芸能ゴシップや色恋不倫漫画、後は歌舞伎とか宝塚とか旧ジャニーズとか韓流の特集ばかりで実に低俗で下劣だ。

    • 匿名 より:

      11:23
      その通り。
      週刊誌は愛子が優秀だの、国民に寄り添っているだの嘘ばかり。
      雅子の遅刻、オサボリ、怠け癖、我儘は全て精神病のせいにして忖度している。
      徳仁の雅子愛子忖度、国民より家庭第一には触れようともしない。

  22. 匿名 より:

    【ハニートラップ騒動スクープ】秋篠宮家と親密なイギリス人男性が「中国の政府機関との関係が強く疑われる」中国人留学生と不倫関係に 皇室の情報が流出か

  23. 匿名 より:

    【ハニートラップ騒動スクープ】秋篠宮家と親密なイギリス人男性が「中国の政府機関との関係が強く疑われる」中国人留学生と不倫関係に 皇室の情報が流出か

    またもや騒動

  24. 匿名 より:

    皇居内の宮内庁・車馬課が火事に…人や馬にケガなく信任状捧呈式で使用の馬車にも被害なし 職員がすぐに消火(FNNプライムオンライン)

    皇居にある宮内庁の施設で火事がありました。

    18日午後10時過ぎ、東京・千代田区の皇居にある宮内庁車馬課の事務所から火が出ました。

    宮内庁によりますと、煙に気付いた職員がすぐに消火し、人や馬にけがはなく、信任状捧呈式で使用する馬車などにも被害はなかったということです。

    電気配線から出火した可能性があるということです。

  25. 匿名 より:

    「そろそろ」「遅いくらい」ささやかれる眞子さんの帰国情報(デイリー新潮)

     今年3月までに、米ニューヨークの中心街から郊外に引っ越した小室圭さん・眞子さん夫妻。引っ越しが“新しい家族”を迎えるための準備ではないかというのは噂された点だが、それから5ヶ月が経過する中、いままた眞子さんの日本への帰国情報が流れているという。「そろそろ」「遅いくらい」ともささやかれる帰国は実現するのだろうか。

     小室さん夫妻は米国に移住後、ヘルズ・キッチン地区に居を定めた。比較的安価な家賃が魅力的とされるエリアだが、子育てや教育環境の点では物足りない部分があったのも事実のようだ。

    「そのこともあって今年3月までに、ニューヨーク郊外のコネチカット州スタンフォードに小室さん夫妻は引っ越しました。それが“新しい家族”を迎えるための準備ではないかというのはよく言われていたことで、実際、秋篠宮ご夫妻も“良い知らせ”を期待しているという話は宮内庁内から聞こえてきましたね」

     と、担当記者。

     ここに来て、眞子さんの帰国情報が駆け巡っているとされる。

    「日本国内でのさまざまなバッシングに耐えかねて、それは絶対にないというかたくなな見方もあるようですが、出産や子育てを含めてトータルでサポートできるのは日本国内だということは明らかで、眞子さんもその点は理解しているように聞いています」(同)

     そもそも批判的な声は、ネット社会であれば世界のどこにいても目に入る。米国内でもサポートはあるだろうが、それはそれでまた批判の対象になりかねない。となると、国内のほうが安心という考え方はあるのだろう。

     キーマンとされるのが、ある産婦人科医だ。

    「出産に関してブランド病院とされる、東京都港区にある愛育病院の名誉院長の安達知子氏です。安達氏が極秘に渡米し、眞子さんと何度か接触したのではないかという記事が週刊新潮で掲載されたこともありました。安達氏は紀子さまが悠仁さまを出産された際の特命チームに入っていたことからも、秋篠宮家とのつながりの深さを感じさせる人物です」(同)

     安達氏が眞子さんのご出産に関して、日米の環境差について説明したのは間違いないとされる。

    「“出産して子育て”ということなら日本での方がさまざまな点で有利というか、手厚いフォローを受けられることでしょう。安達氏がその辺りに言及した可能性もあると見られています。宮内庁としても帰国の可能性を踏まえて、ある程度の心づもりをしているとも聞きました。秋篠宮ご夫妻としても眞子さんとの関係が微妙になっているとの報道がありますが、“帰国することになるようなら”ということで、その日を待ちわびているとのことです」(同)

     電撃帰国もあり得る中で、宮内庁としては、「そろそろではないか、いや、もう遅いくらいかもしれない」などといった会話が交わされているとされる。良い知らせを期待する人は少なくないだろう。

    デイリー新潮編集部

    • 匿名 より:

      汚らわしいふたり。二度と日本の地を踏むな。

    • 匿名 より:

      【速報】小室圭氏、帰国か⁉︎自民党総裁選は固辞するも、新内閣の大臣登用には積極的。狙うは英語力を生かして外務大臣のポストか?

    • 匿名 より:

      10:39
      日本に戻ってくるかどうかは小室夫妻が決める問題
      お前ごときに決める権利はない

    • 匿名 より:

      10:39
      天皇一家自体が汚らわしいから秋篠宮家も眞子さんもこうなったのだ。 愛子もどうなることやら。
      小室さん以下の男しか付かないだろう。

  26. 匿名 より:

    【速報】タイ人女性のワンサ・ワンチソさん。悠仁さまを自分の息子だと主張。悠仁さまの本当の名前はワンサ・ワンチンチェンさん。

    • 匿名 より:

      有益な情報ありがとうございます。
      悠仁君って歴代皇族の誰にも似ていないから何処の馬の骨ってずっと思っていたんですよ。

    • 匿名 より:

      徳仁、文仁の本当の父親と母親も名乗り出て欲しかった。托卵って噂があるので。

    • 匿名 より:

      悠仁は秋篠宮と眞子の子だと思っていた



  27. 匿名 より:

    1000点満点で20点しか取れなくて卒業できるのであろうか?

    • 匿名 より:

      特権を駆使し忖度でパス。
      お茶の水もそうだったでしょ。
      利発なお子さまの中で完全に浮いていたでしょ?。
      鯰や狐の頃では特殊学級、今は特別支援学級に入れて養育、療育するのがベストだったのにね。

    • 匿名 より:

      卒業できず70歳くらいまで高校生やってればいいよ

    • 匿名 より:

      愛子は、遅刻、早退、不登校、嫌いな数学の試験を受けなくても進級、卒業できた。
      偏差値73とは、天皇一家擁護派が拡散したデマ。
      テストの点数も忖度され流出できない程の出来の悪さ。
      大学院進学も留学もできない知能。
      日赤の職員のレベルって低いのだ。 

  28. 匿名 より:

    あのちゃん 身長166センチ 体重44キロ
    眞子さま 身長162センチ 体重38キロ
    佳子さま 身長160センチ 体重45キロ
    愛子さま 身長164センチ 体重69キロ

  29. 匿名 より:

    >「このいまいましい週刊誌め!悠仁の成績を勝手に暴露するとは何事か。悠仁の赤点どころか、私の怒りは真っ赤っ赤だ!すぐに、報道各社の人間を呼び集めなさい」

    そして報道各社の人間を呼び集めた場で、次のように、ユーモアを交えて、警告をなされました。

    「皆さん、聞いてください。今後、悠仁の成績に関する報道は一切禁止です。赤点だろうが満点だろうが、それは我が家の問題です。もし誰かが漏らしたら、その週刊誌社には特別な”おもてなし”を用意しましょう。今後1年間、皇室行事の取材時には必ず最後列に並んでいただきます。カメラのズームレンズを忘れずに」

    「最後に申し上げます。悠仁の成績は、良くも悪くも、彼の人生の一部です。それを勝手に世間に晒すのは、皇族の尊厳を踏みにじる行為です。今後このような無礼な報道がなされた場合、その週刊誌社には、今後100年間、私たち秋篠宮家の人間を称賛し、いまいましい今上一家についてのネガティブ報道を毎週行うよう義務付けます。以上です」
      ↑
     このキコの傲慢さ!
    この世はキコを中心に回ってる、、かのようだ!
    こんな悲惨な成績で東大とは!
    志望校へは試験を受け、一定の基準に達している、、という事で入学が許可される。この事は全く頭にないのね。
     キコの本心は「そんな事、知ったこっちゃない。コッチは将来の天皇だ。つべこべ言わずに入学させろ!」と言うところか!

  30. 匿名 より:

    京都国際VS智弁学園
    京都国際を応援します
    勝って韓国語の校歌を甲子園に響かせてほしい

  31. 匿名 より:

    韓国を代表している京都国際高校には勝って欲しいが、それ以上に独島領有権を主張する島根県代表の大社高校には絶対に負けて欲しい
    神村学園頑張れ
    日本中、いや、世界中が神村学園を応援しています

  32. 匿名 より:

    京都国際先制
    できれば京都国際に大社を倒して欲しかった
    独島を自分のものだと思っている馬鹿な島根県人の前で韓国語の校歌を高らかに歌って欲しかった



  33. 匿名 より:

    成績は無関係。この紋所が目に入らぬか?控え居ろう。母親が至る所でかざします。

  34. 匿名 より:

    京都国際3点目
    智弁を倒せ‼︎

  35. 匿名 より:

    智弁学園は毎年修学旅行で韓国に行き、生徒が韓国人に対して土下座して謝罪する常識のある学校
    京都国際に勝ってもらいたいのは当然だが、智弁学園を誹謗中傷してはならない

  36. 匿名 より:

    독도는 우리땅

  37. 匿名 より:

    京都国際、智弁学園に4-0で勝利
    韓国の勝ち、日本の負け

  38. 匿名 より:

    小池都知事 今年も朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典への追悼文を送らず 歴代都知事は追悼文送付も、小池氏は2017年以降取りやめ

    だから罰が当たって骨折する



  39. そろそろ 次の更新⁉️ より:

    「菊の紋ニュース」の入り口に、【9月26日 秋篠さん、皇位継承確定】ってあったから、記事が更新されたんかと思った。

    秋篠さんは、皇位継承より「拘束決定」「皇籍剥脱」が相応しい‼️

  40. 匿名 より:

    「将来の皇室を担うのは愛子さまが最もふさわしい」皇室研究家が指摘する愛子さまが受け継いだ平和への思い(プレジデントオンライン)

    戦没者の慰霊や平和への思いは、皇室とは切っても切れない関係がある。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「誰よりも切実に平和を念じておられたのは昭和天皇であり、皇室の方々だったのではないか。そして、その皇室の平和への願いを最もまっすぐに受け継いでおられるのが敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下ではないか」という――。

    ■皇室の平和への願い

     去る8月15日、終戦記念日。天皇・皇后両陛下には、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式にご臨席になり、黙祷の上、おことばを述べられた。

    ———-
    「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」
    ———-

     この日、敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下は例年通り、御所で黙祷を捧げておられる。

     「8月」は日本人にとって、今も特別な感慨を抱かせる月であり続けているのではないだろうか。もちろん、先の大戦が終結してすでに80年近くの歳月が流れた。だから世代も移り、記憶も風化をまぬかれないだろう。

     それでも普段は日常の忙しさにかまけてほとんど気にかけることもない、「平和」について改めて気持ちを向けさせる何かがあるのではないか。

     昭和の戦後時代には、あたかも天皇・皇室が戦争の大きな原因であったかのような見立てが、漠然と多くの人たちに受け入れられていた時期もあった。それが反天皇・反皇室的なムードにつながっていたりもした。

     しかし、戦後の歳月に平和が声高に語られる中で、誰よりも切実に平和を念じておられたのは昭和天皇であり、皇室の方々だったのではなかろうか。そして、その皇室の平和への願いを最もまっすぐに受け継いでおられるのが、ほかでもない令和で唯一の皇女でいらっしゃる敬宮殿下ではないだろうか。

    ■愛子さまを詠んだ皇后さまの和歌

     たとえば今年の歌会始のお題は「和」だった。そこで皇后陛下は、敬宮殿下の作文について詠んでおられた。

    ———-
    広島を はじめて訪(と)ひて
    平和への
    深き念(おも)ひを 吾子(あこ)は綴れり
    ———-

     このみ歌について、宮内庁は以下のような解説を付けていた。

    ———-
    「愛子内親王殿下には、中学3年生5月の修学旅行の折に初めて広島を訪れられました。広島では、原爆ドームや広島平和記念資料館の展示などをご覧になって平和の大切さを肌で感じられ、その時のご経験と深められた平和への願いを中学校(学習院女子中等科)の卒業文集の作文にお書きになりました。
    日頃から平和を願われ、平和を尊ぶ気持ちが次の世代に、そして将来にわたって受け継がれていくことを願っていらっしゃる天皇皇后両陛下には、このことを感慨深くお思いになりました。この御歌は、皇后陛下がそのお気持ちを込めてお詠みになったものです」
    ———-

    ■天皇陛下が譲られた

     この時、天皇陛下がお題の「和」にちなんでお詠みになった3首の中で、「平和」についても詠んでおられた。皇后陛下のみ歌とテーマが重なる。そこで、御用掛(ごようがかり)で歌人の永田和宏氏が「皇后陛下にお譲りになってはいかがでしょうか」と提案したところ、天皇陛下は「よろこんで」と応じられたという(AERAdot.令和6年[2024年]2月4日、9:00公開)。

     ちなみに、天皇陛下の和歌は次の通り。

    ———-
    をちこちの 旅路に会へる
    人びとの
    笑顔を見れば 心和みぬ
    ———-

     いかにも「国民の中に入っていく皇室」を心がけておられる天皇陛下らしい御製(ぎょせい)だった。

    ■愛子さまの中学生時代の作文

     では、皇后陛下のみ歌に詠まれた敬宮殿下の作文は、どのような内容だったか。すでにご存じの人もいるだろうが、8月という月に改めて振り返っておきたい。

     タイトルは「世界の平和を願って」。一部だけを掲げさせていただく。

     この作文に初めて触れる人は、その月並みな綺麗事でない新鮮な切り口に、敬宮殿下の本気さを感じ取り驚くのではないだろうか。

    ———-
    「平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々『平和』『平和』と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから『平和』は始まるのではないだろうか」
    ———-

    ■「思いやりと感謝」の原点

     中学生とは思えない洞察の深さではないだろうか。

     平和を他人事ではなく我が事としてとらえている。その上で、等身大の日常から平和への道筋を真剣に考え抜かれた。

     だからこそ、納得感のあるメッセージになっているのではないか。

     敬宮殿下は「ご成年に当たってのご感想」(令和3年[2021年]12月1日)の中で次のようにおっしゃっていた。

     「日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら……」と。

     ここで述べられている「思いやりと感謝」の原点が、すでに先の作文に平和へのスタートラインとして記されていた。「小さな喜びを大切に」というのも、「空が青いのは当たり前ではない」という、広島でのご経験から得られた実感に裏打ちされたお言葉だろう。

    ■「平成が戦争のない時代として終わった」

     平和については、上皇陛下が「天皇」として最後に迎えられたお誕生日に際して、このように述べておられた。

     「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と。

     このおことばにハッとした人もいるのではないだろうか。なぜなら、平成時代に戦争が起きる危険性をリアルに感じ取っていた人など、ほとんどいなかったと思われるからだ。

     しかし、上皇陛下は本気で戦争の可能性を警戒しておられた。だからこそ、あの場面で「心から安堵しています」というおことばが、正直に吐露されたのだろう。平和への願いは本気なのだ。

     改めて振り返ってみると近代以来、各天皇の時代でまったく戦争がなかったのは、平成が初めてだった。明治時代には日清・日露戦争があり、大正時代には第一次世界大戦への参戦があり、昭和時代には満州事変、シナ事変、大東亜戦争があった。

     どの時代も前向きに戦争を望まれた天皇はおられない。しかし結局、戦争を避けることはできなかった。

     その無念さを上皇陛下は昭和天皇と身近に接する中で、深く心に刻んでおられたのだろう。それが、天皇として最後のお誕生日に際しての記者会見でのご発言につながったのではないだろうか。

    ■「国民の犠牲を思うとき…」

     昭和天皇が戦争に対して、痛烈な悔恨の気持ちを抱いて戦後の日々をすごしてこられたことは、さまざまな事実から察することができる。

     たとえば、昭和61年(1986年)4月29日に国技館で開催された政府主催の天皇陛下御在位60年記念式典でのお言葉の際、冒頭近くで次のように述べられた。

    ———-
    「今ここに昭和の60年の歳月を顧み、先の戦争による国民の犠牲を思うとき、なお胸が痛み、改めて平和の尊さを痛感します」
    ———-

     この頃、国内は昭和天皇が60年もの長きにわたり天皇として在位され続けたことへの祝意が、盛り上がっていた。すでに民間の各種の祝賀行事も行われていた。そのようなお祝いムードのピークに位置したのが、この時の政府式典だったはずだ。当時は中曽根康弘氏が首相だった。

     ところが、昭和天皇ご自身のお言葉はむしろ沈痛の趣きをたたえていた。「昭和の60年の歳月」が昭和天皇ご自身にとっては「先の戦争による国民の犠牲」とほぼ等式で結ばれていた。

     それは昭和20年(1945年)8月14日に下され、翌日に昭和天皇ご自身のお声つまり玉音放送として全国民に伝えられた「終戦の詔書」の一節を髣髴(ほうふつ)とさせた。

    ■昭和天皇の涙

    ———-
    「帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃れたるもの及(および)其(そ)の遺族に想(おもい)を致せば五内為に裂く。……堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以(もっ)て万世の為に太平を開かむと欲す」
    ———-

     昭和天皇は戦後の起伏に富んだ日々を、ひたすら終戦の詔書に込めた国民の犠牲への嘆きを心に刻みながら、過ごしてこられた。うかつな私なぞは先のお言葉で初めてその事実に気づかされた。

     後日ある写真週刊誌が、式典のお席で昭和天皇が一条の涙を流しておられるお姿を、報じた。そのお写真は、戦後の日々が昭和天皇にとってどのような辛い重荷であり続けたかを、まざまざと見せつけた。戦後の経済復興と繁栄の中で、多くの国民がおおかた忘れかけたことも、昭和天皇にとっては永遠に失われることのない十字架であり続けたに違いない。

    ■昭和天皇最後の終戦記念日

     昭和63年(1988年)8月15日は昭和天皇が最後に迎えた終戦記念日だった。

     この時、昭和天皇のお身体はすでに癌に深く蝕まれておられた。7月下旬から那須御用邸で静養をしておられた昭和天皇は、側近の制止を振り切って8月13日にヘリコプターで東京にお戻りになった。そして進退がご不自由なお身体に鞭打って、日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式典にお出ましになった。

     昭和天皇は病み衰えて、たいそうおやつれになり、手すりにすがりながら壇上に登られた。しかし、足元がおぼつかないために、正午の黙祷の時間までに壇の中央に進むことができなかった。凄まじい平和への執念だけが、この時の昭和天皇を支えていた。
    ■和歌に込められた強い思い

     昭和天皇はこの日、次の御製を詠んでおられた。

    ———-
    やすらけき 世を祈りしも
    いまだならず
    くやしくもあるか
    きざしみゆれど
    ———-

     およそ以下のような意味かと拝察する。

     これまでひたすら平和な世界を祈ってきた。しかし、晩年を迎えた今も、成就しない。それが悔しい。わずかな兆しは見えているけれど。

     天皇という重いお立場にあって、しかも和歌というみやびな表現形式の中で、あえて「くやしくもあるか」という厳しく率直な表現を使っておられる。

     それほど昭和天皇の平和への願いが強かった事実を示すものだろう。

    ■平和への思いを受け継ぐ愛子さま

     その昭和天皇の平和への願いをまっすぐに受け継がれたのが上皇陛下だった。平成6年(1994年)から始まる上皇・上皇后両陛下による「慰霊の旅」は、あらゆる困難を乗り越えて国内外の戦跡をたどられたお辛い道のりであり、まさに先帝の無念のお気持ちを体しての、強い使命感によるご行動だった。

    ———-
    ○硫黄島、父島、母島(平成6年[1994年]2月12~14日)
    ○長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂(平成7年[1995年]7~8月)
    ○米国自治領サイパン島(平成17年[2005年]6月27・28日)
    ○パラオ共和国ペリリュー島(平成27年[2015年]4月8・9日)
    ○フィリピン(平成28年[2016年]1月26~30日)
    ○ベトナム(平成29年[2017年]2月28~3月5日、同5・6日にはタイにお立ち寄り)
    ———-

     これらの「旅」を踏まえ、ご退位にあたり万感の思いを込めて「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられたのだろう。

     そのような平和への思いを、天皇・皇后両陛下を通じて我が事としてまっすぐに受け継いでおられるのが、敬宮殿下でいらっしゃる。冒頭に触れた終戦記念日だけでなく、沖縄県慰霊の日の6月23日、広島原爆の日の8月6日、長崎原爆の日の同9日には毎年、両陛下とご一緒に黙祷を捧げ続けておられる。「空が青いのは当たり前ではない」というのは、まさしく殿下のご実感だ。

     平和はこれからも皇室にとって大切なテーマであり続けるだろう。そうであれば、将来の皇室を担っていただくのに、敬宮殿下ほどふさわしい方がおられるだろうか。

    ———-
    高森 明勅(たかもり・あきのり)
    神道学者、皇室研究者
    1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録」
    ———-

  41. 匿名 より:

    独島領有権を主張する島根県代表の大社高校が負けました
    実に気分が良い
    できれば京都国際に大社を倒して欲しかった
    そして韓国語の校歌や独島は我が領土を甲子園で声高らかに歌って欲しかった

  42. 匿名 より:

    「将来の皇室を担うのは愛子さまが最もふさわしい」皇室研究家が指摘する愛子さまが受け継いだ平和への思い(プレジデントオンライン)

    戦没者の慰霊や平和への思いは、皇室とは切っても切れない関係がある。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「誰よりも切実に平和を念じておられたのは昭和天皇であり、皇室の方々だったのではないか。そして、その皇室の平和への願いを最もまっすぐに受け継いでおられるのが敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下ではないか」という――。

    ■皇室の平和への願い

     去る8月15日、終戦記念日。天皇・皇后両陛下には、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式にご臨席になり、黙祷の上、おことばを述べられた。

    ———-
    「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」
    ———-

     この日、敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下は例年通り、御所で黙祷を捧げておられる。

     「8月」は日本人にとって、今も特別な感慨を抱かせる月であり続けているのではないだろうか。もちろん、先の大戦が終結してすでに80年近くの歳月が流れた。だから世代も移り、記憶も風化をまぬかれないだろう。

     それでも普段は日常の忙しさにかまけてほとんど気にかけることもない、「平和」について改めて気持ちを向けさせる何かがあるのではないか。

     昭和の戦後時代には、あたかも天皇・皇室が戦争の大きな原因であったかのような見立てが、漠然と多くの人たちに受け入れられていた時期もあった。それが反天皇・反皇室的なムードにつながっていたりもした。

     しかし、戦後の歳月に平和が声高に語られる中で、誰よりも切実に平和を念じておられたのは昭和天皇であり、皇室の方々だったのではなかろうか。そして、その皇室の平和への願いを最もまっすぐに受け継いでおられるのが、ほかでもない令和で唯一の皇女でいらっしゃる敬宮殿下ではないだろうか。

    ■愛子さまを詠んだ皇后さまの和歌

     たとえば今年の歌会始のお題は「和」だった。そこで皇后陛下は、敬宮殿下の作文について詠んでおられた。

    ———-
    広島を はじめて訪(と)ひて
    平和への
    深き念(おも)ひを 吾子(あこ)は綴れり
    ———-

     このみ歌について、宮内庁は以下のような解説を付けていた。

    ———-
    「愛子内親王殿下には、中学3年生5月の修学旅行の折に初めて広島を訪れられました。広島では、原爆ドームや広島平和記念資料館の展示などをご覧になって平和の大切さを肌で感じられ、その時のご経験と深められた平和への願いを中学校(学習院女子中等科)の卒業文集の作文にお書きになりました。
    日頃から平和を願われ、平和を尊ぶ気持ちが次の世代に、そして将来にわたって受け継がれていくことを願っていらっしゃる天皇皇后両陛下には、このことを感慨深くお思いになりました。この御歌は、皇后陛下がそのお気持ちを込めてお詠みになったものです」
    ———-

    ■天皇陛下が譲られた

     この時、天皇陛下がお題の「和」にちなんでお詠みになった3首の中で、「平和」についても詠んでおられた。皇后陛下のみ歌とテーマが重なる。そこで、御用掛(ごようがかり)で歌人の永田和宏氏が「皇后陛下にお譲りになってはいかがでしょうか」と提案したところ、天皇陛下は「よろこんで」と応じられたという(AERAdot.令和6年[2024年]2月4日、9:00公開)。

     ちなみに、天皇陛下の和歌は次の通り。

    ———-
    をちこちの 旅路に会へる
    人びとの
    笑顔を見れば 心和みぬ
    ———-

     いかにも「国民の中に入っていく皇室」を心がけておられる天皇陛下らしい御製(ぎょせい)だった。

    ■愛子さまの中学生時代の作文

     では、皇后陛下のみ歌に詠まれた敬宮殿下の作文は、どのような内容だったか。すでにご存じの人もいるだろうが、8月という月に改めて振り返っておきたい。

     タイトルは「世界の平和を願って」。一部だけを掲げさせていただく。

     この作文に初めて触れる人は、その月並みな綺麗事でない新鮮な切り口に、敬宮殿下の本気さを感じ取り驚くのではないだろうか。

    ———-
    「平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々『平和』『平和』と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから『平和』は始まるのではないだろうか」
    ———-

    ■「思いやりと感謝」の原点

     中学生とは思えない洞察の深さではないだろうか。

     平和を他人事ではなく我が事としてとらえている。その上で、等身大の日常から平和への道筋を真剣に考え抜かれた。

     だからこそ、納得感のあるメッセージになっているのではないか。

     敬宮殿下は「ご成年に当たってのご感想」(令和3年[2021年]12月1日)の中で次のようにおっしゃっていた。

     「日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら……」と。

     ここで述べられている「思いやりと感謝」の原点が、すでに先の作文に平和へのスタートラインとして記されていた。「小さな喜びを大切に」というのも、「空が青いのは当たり前ではない」という、広島でのご経験から得られた実感に裏打ちされたお言葉だろう。

    ■「平成が戦争のない時代として終わった」

     平和については、上皇陛下が「天皇」として最後に迎えられたお誕生日に際して、このように述べておられた。

     「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と。

     このおことばにハッとした人もいるのではないだろうか。なぜなら、平成時代に戦争が起きる危険性をリアルに感じ取っていた人など、ほとんどいなかったと思われるからだ。

     しかし、上皇陛下は本気で戦争の可能性を警戒しておられた。だからこそ、あの場面で「心から安堵しています」というおことばが、正直に吐露されたのだろう。平和への願いは本気なのだ。

     改めて振り返ってみると近代以来、各天皇の時代でまったく戦争がなかったのは、平成が初めてだった。明治時代には日清・日露戦争があり、大正時代には第一次世界大戦への参戦があり、昭和時代には満州事変、シナ事変、大東亜戦争があった。

     どの時代も前向きに戦争を望まれた天皇はおられない。しかし結局、戦争を避けることはできなかった。

     その無念さを上皇陛下は昭和天皇と身近に接する中で、深く心に刻んでおられたのだろう。それが、天皇として最後のお誕生日に際しての記者会見でのご発言につながったのではないだろうか。

    ■「国民の犠牲を思うとき…」

     昭和天皇が戦争に対して、痛烈な悔恨の気持ちを抱いて戦後の日々をすごしてこられたことは、さまざまな事実から察することができる。

     たとえば、昭和61年(1986年)4月29日に国技館で開催された政府主催の天皇陛下御在位60年記念式典でのお言葉の際、冒頭近くで次のように述べられた。

    ———-
    「今ここに昭和の60年の歳月を顧み、先の戦争による国民の犠牲を思うとき、なお胸が痛み、改めて平和の尊さを痛感します」
    ———-

     この頃、国内は昭和天皇が60年もの長きにわたり天皇として在位され続けたことへの祝意が、盛り上がっていた。すでに民間の各種の祝賀行事も行われていた。そのようなお祝いムードのピークに位置したのが、この時の政府式典だったはずだ。当時は中曽根康弘氏が首相だった。

     ところが、昭和天皇ご自身のお言葉はむしろ沈痛の趣きをたたえていた。「昭和の60年の歳月」が昭和天皇ご自身にとっては「先の戦争による国民の犠牲」とほぼ等式で結ばれていた。

     それは昭和20年(1945年)8月14日に下され、翌日に昭和天皇ご自身のお声つまり玉音放送として全国民に伝えられた「終戦の詔書」の一節を髣髴(ほうふつ)とさせた。

    ■昭和天皇の涙

    ———-
    「帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃れたるもの及(および)其(そ)の遺族に想(おもい)を致せば五内為に裂く。……堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以(もっ)て万世の為に太平を開かむと欲す」
    ———-

     昭和天皇は戦後の起伏に富んだ日々を、ひたすら終戦の詔書に込めた国民の犠牲への嘆きを心に刻みながら、過ごしてこられた。うかつな私なぞは先のお言葉で初めてその事実に気づかされた。

     後日ある写真週刊誌が、式典のお席で昭和天皇が一条の涙を流しておられるお姿を、報じた。そのお写真は、戦後の日々が昭和天皇にとってどのような辛い重荷であり続けたかを、まざまざと見せつけた。戦後の経済復興と繁栄の中で、多くの国民がおおかた忘れかけたことも、昭和天皇にとっては永遠に失われることのない十字架であり続けたに違いない。

    ■昭和天皇最後の終戦記念日

     昭和63年(1988年)8月15日は昭和天皇が最後に迎えた終戦記念日だった。

     この時、昭和天皇のお身体はすでに癌に深く蝕まれておられた。7月下旬から那須御用邸で静養をしておられた昭和天皇は、側近の制止を振り切って8月13日にヘリコプターで東京にお戻りになった。そして進退がご不自由なお身体に鞭打って、日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式典にお出ましになった。

     昭和天皇は病み衰えて、たいそうおやつれになり、手すりにすがりながら壇上に登られた。しかし、足元がおぼつかないために、正午の黙祷の時間までに壇の中央に進むことができなかった。凄まじい平和への執念だけが、この時の昭和天皇を支えていた。
    ■和歌に込められた強い思い

     昭和天皇はこの日、次の御製を詠んでおられた。

    ———-
    やすらけき 世を祈りしも
    いまだならず
    くやしくもあるか
    きざしみゆれど
    ———-

     およそ以下のような意味かと拝察する。

     これまでひたすら平和な世界を祈ってきた。しかし、晩年を迎えた今も、成就しない。それが悔しい。わずかな兆しは見えているけれど。

     天皇という重いお立場にあって、しかも和歌というみやびな表現形式の中で、あえて「くやしくもあるか」という厳しく率直な表現を使っておられる。

     それほど昭和天皇の平和への願いが強かった事実を示すものだろう。

    ■平和への思いを受け継ぐ愛子さま

     その昭和天皇の平和への願いをまっすぐに受け継がれたのが上皇陛下だった。平成6年(1994年)から始まる上皇・上皇后両陛下による「慰霊の旅」は、あらゆる困難を乗り越えて国内外の戦跡をたどられたお辛い道のりであり、まさに先帝の無念のお気持ちを体しての、強い使命感によるご行動だった。

    ———-
    ○硫黄島、父島、母島(平成6年[1994年]2月12~14日)
    ○長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂(平成7年[1995年]7~8月)
    ○米国自治領サイパン島(平成17年[2005年]6月27・28日)
    ○パラオ共和国ペリリュー島(平成27年[2015年]4月8・9日)
    ○フィリピン(平成28年[2016年]1月26~30日)
    ○ベトナム(平成29年[2017年]2月28~3月5日、同5・6日にはタイにお立ち寄り)
    ———-

     これらの「旅」を踏まえ、ご退位にあたり万感の思いを込めて「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられたのだろう。

     そのような平和への思いを、天皇・皇后両陛下を通じて我が事としてまっすぐに受け継いでおられるのが、敬宮殿下でいらっしゃる。冒頭に触れた終戦記念日だけでなく、沖縄県慰霊の日の6月23日、広島原爆の日の8月6日、長崎原爆の日の同9日には毎年、両陛下とご一緒に黙祷を捧げ続けておられる。「空が青いのは当たり前ではない」というのは、まさしく殿下のご実感だ。

     平和はこれからも皇室にとって大切なテーマであり続けるだろう。そうであれば、将来の皇室を担っていただくのに、敬宮殿下ほどふさわしい方がおられるだろうか。

    ———-
    高森 明勅(たかもり・あきのり)
    神道学者、皇室研究者
    1957年、広島県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録」
    ———-

  43. 匿名 より:

    悠仁さま(17)大学合格への試金石 筑附の成績事情が“あまり世に出てこない”意外な理由とは「同級生ですら知ることはできず…」(文春オンライン)

     9月6日に18歳の誕生日を迎えられる秋篠宮家の悠仁さま(17)。高校卒業を控える今、悠仁さまをめぐって取り沙汰されているのが、進学先問題である。

     現在、悠仁さまが通われているのは筑波大学附属高校(以下、筑附)だ。系列大の筑波大学はもちろん、悠仁さまの進学先については、さまざまな大学の名前が取り沙汰されてきた。 「週刊文春」今週号の皇室記事 を担当した、編集部のI記者が解説する。

    「今年3月の宮内庁の会見で、悠仁さまが昆虫や動物などに関心を持たれており、自然誌が学べる大学を志望されていることが明かされました。その後の報道では、東京大学、東京農業大学、北海道大学、玉川大学などの名前が挙がっています」

     偏差値70以上と言われる筑附は、毎年、かなりの数の東大合格者を輩出している。そんな超進学校で、悠仁さまはどのような“ご成績”なのだろうか。

    「筑附では、平均点や順位が生徒本人にしか明かされないので、他の同級生の方たちも悠仁さまの成績はわからないようです」(I記者)

     外部からはおろか、同級生ですら窺い知ることのできない悠仁さまの“成績事情”。そんな中、「週刊文春」取材班は、悠仁さまの成績事情をめぐる“衝撃証言”を得た。

    「率直に申し上げて“異例の成績”です」

     そう語るのは、筑附の内部関係者だ。この発言の真意とは――。

     悠仁さまの“成績事情”をめぐる衝撃発言の中身、秋篠宮家の帝王教育に生じた“疑義”など、I記者が“悠仁さまの真実”について解説した有料番組の全編は「 週刊文春電子版 」で視聴できる。

  44. 匿名 より:

    嵐山通船へ数々の嫌がらせで
    悪魔のお茶会を思い出した。

    靴隠しをさせ、楽しんでいた誰かさん、
    ピンを入れた話?!もありました。

    やることなす事、同じじゃないの。
    ボヤをおこさなければいいけど、
    考え過ぎだろうか。
    それこそ警察は黙っていません。
    会見を邪魔されないよう祈っています。
    嵐山通船さん頑張って下さい。



  45. 匿名 より:

    暫定ではあるが将来の天皇である悠仁親王。
    文武両道で品行方正な模範生の筈なのに何故に罰則付きの報道規制を掛けるのか?。
    表舞台にリアルタイムで御披露目出来ない不都合な事でもあるのか?。
    謎ばかりだ。

    • 匿名 より:

      そうだ そうだ
      本当に優秀だったら見たくもない動画を連日連夜報道させるに違いない。
      テストではいつも90点以上とか、バドミントン部の支部予選で優勝され都大会にお出になるとか。
      しつこい位逐一報道させるはずだ。

  46. 匿名 より:

    裏の仕掛け人はすべての指示でしようね?稀にみる意地悪で強欲でうぬぼれで異常過ぎる嫉妬心の塊の帝。

  47. 匿名 より:

    ゆるがせにしてはならない

  48. 愛子様万歳 より:

    首都直下型地震とか、南海トラフ地震とか控えているのに、こんなくだらない無駄遣いをしていていいのか?

    • 匿名 より:

      無駄遣いばかりの天皇皇后内親王皇族たち。
      皇室廃止が国民のため。

    • 匿名 より:

      ナマズが暴れると地震が起こるという言い伝えがあります。
      よってナマズを閉じ込めておく必要があります。

  49. ガールズ訪問/皇室まとめ回顧録 より:

    9:30『「加工」「縦長」「バミリ」の検証画像ここにあり!』

    ・ぼったま雑な加工で かえって変な感じ(写真)

    ・ぼったまの膝下の長さに違和感!
    上げ底靴履いた上に 足長加工かな?
    いろいろおかしいですね。
    こちらの映像も、ぼっ玉の膝下が長いし、不安定な歩き方に違和感だらけ。(写真)

    ・膝下長いよね この画像は前に歩いているので 左→右にいくにつれ大きくなっています
    審美的なものでなく、若しくはそれも含めて 内反足を直す骨切り手術(イリザロフ)してる?
    それくらいバランスがおかしな長さに見える 向かって左に下がる肩も この静止画だとよくわかります
    (写真3枚:静止画像で比較)

    ・一番左左足すごい曲がってるね。
    ひざ下から足首ぐにゃっと 左足がすごく歩きにくそう

    ・そういえば いつも左に傾いてたわ 左足が短いのかな?

    ・両足右足という噂

    ・子供の頃から、特殊な靴履いてるよね。(写真)

    ・父親の足を没に貼り付けてる?
    言われてみればそう見える。まさか?
    まさかね。うわぁ、すごいことに気づかれたのでは? これは!どういうこと?
    (動画:父親と長男の脚の運びを並べて比較)

    ・だからか! 編集加工しやすいようにお揃いばっかり着てるの!

    ・そっくり! シワまでそっくり!
    なんなんだ、コレ⁉️ ゾッとするくらい同じ ここまでするか?

    ・やっぱり没の方が内巻きがひどい気がしました。
    初見凍りつくほど似てました!

    ・これ以外にも 同じ服装している時は加工しているのかもね。

    ・ぼったま雑な加工で かえって変な感じ

    ・脚長加工しても、没玉の不気味さは減らないどころか増える感じw

    ・背丈の他に 顔面も加工されてるねw

    ・何処へ行くにもとーちゃんとお揃いの服じゃないとあかんの? (写真)

    ・みつけた! あの登校写真も加工してたんだ!(写真:6頭身を9頭身に加工)

    ・通学路の写真でもトヨタマークが③長wだったけど、これも家紋が縦長www
    (写真4枚:普通の写真と縦長加工の写真)

    ・背景の家紋が 縦に伸びちゃってる
    何年も前に話題になったコレ 思い出したw 中国の学生さんたちの加工写真(写真)

    ・没は 父親ほどは背は高く無かったよね。 これも岐阜だけど。

    ・あーね バミリばっかり気にしてた時ね
    2日目のコーム、笑顔少なかったら 海外に何日も、なんてムリだと思う(写真)

    ・えっ… 説明受けている時もなの? 何で立ち位置が そんなに気になるんだろう
    ・ぴったりバミリに止まらないと 気がすまない子なのね

    ・こだわりが凄すぎて驚いた! これはカメラマンも気がついてるわ。

    ・貼って頂いた画像、はっきりバミリが見えますね。こちらの動画では、バミリを気にしているのがよくわかります。
    キーコもバミリチェックしながら 入って来たように見えます。(動画)

    ・この子、報道されるってことも理解してないんだね。なぜバミリがあるのか。
    この4人が重ならないで映るようにあるのにね。
    説明する人を見たいから 紀子さんと同じラインに 出て慌てて下がるけど、なんか立ち位置 良く分からなくてモタモタしてる。
    (動画:画面にバミリ印がある)

    ・これって前にある案内板?の影だよね!? バミ坊、バミリが無くてもバミリを使ってしまう説爆誕なのでは。
    バミリは安心材料

    ・多分案内版の影と白バミリとバミリ一家の奇跡のコラボ

    ・立ち位置に白い印が4つ! (この画像では1つ見えていませんが)
    もしかしたら案内板の影もバミリだったのかも。(足元拡大写真)

    ・いや、ほんとに変な歩き方だよ。
    もともと、脚になんらかの問題があったんだろうな、って感じ。(写真:岐阜総文祭)
    ꧁ ┄┅┄»»»◈ ※ ◈«««┄┅┄ ꧂
    修正・加工・報道規制…凄いねぇ。
    全部 税金で箔付けの ハリボテ贋皇族‼️

    • 匿名 より:

      ハリボテ贋皇族の証拠を示してからほざけよ!
      さもなくば、デマ、インチキ、ガセ野郎であり、名誉毀損野郎だ。

  50. 匿名 より:

    天皇は小室圭氏
    総理大臣は小泉進次郎氏
    都知事は石丸伸二氏

    そうなれば日本は良くなる



  51. 匿名 より:

    朝鮮王朝の末裔であるコリアイコ
    コリアイコを支持するアイコリアン

    • 匿名 より:

          ↑12:38
      盆休みが終わって戻ってきたら、ゴキブリがしぶとく生き残っていて、まだ同じことを書いている馬鹿っぷり。

    • 匿名 より:

      13:41
      コメ主を貶めるしか能がないダニだな。

  52. 匿名 より:

    眞子さんと“断絶”状態の紀子さまはご公務先でぽろっと涙をこぼされ…“雅子さま&愛子さまインスタ”への焦りとは(文春オンライン)

     昨年末、映画鑑賞後に突如涙ぐまれた紀子さま。体調不良で被災地入りのご希望も叶わず、米国で暮らす眞子さんの新居すらご存じないという。そんな中、初めて悠仁さまの大学見学のご様子が公開された。一方、4月から始まった宮内庁インスタに“次代の天皇”の姿はなく……。

    「カトリヤンマが来るんですか」

     秋篠宮家の長男、悠仁さま(17)は瞳を輝かせた。4月6日、秋篠宮とともに玉川大学のキャンパスを訪問された際のことだ。

    「土手がしっかりしているから、そういうトンボが来るのでしょう」と、秋篠宮にご解説。許可を得て植物の葉を触り、

    「これは葉の断面が四角いから……」

     と、草の種類も当てられた。

     町田・横浜・川崎の3市にまたがる丘陵地帯に広がる、自然にあふれた広大なキャンパス。お2人は、アワビの陸上養殖施設やLEDで育てる野菜工場の実験場、昆虫のゲノムの研究室など、同大の最先端の研究現場を訪問された。悠仁さまは研究室に保存された直径30センチほどのミツバチの巣を手に取ると、笑顔で質問を重ねられた。

     この日のご訪問には、従来とは異なる点があった。

    「悠仁さまは幼いころから、秋篠宮さまと全国各地へ視察旅行に出かけてこられた。ただし大半がお忍びで、一切伏せられるか、お誕生日会見など、日が経ってからの事後報告が通例。それが、今回は数日前に宮内庁から通知を出し、公式な取材の場を設定しました」(宮内庁関係者)

     異例ともいえる“情報解禁”に踏み切った秋篠宮家。その背景には、大学には姿を見せなかった紀子さま(57)の、ある決心が――。

     大学訪問の舞台裏を、玉川学園の小原芳明理事長が明かす。

    「秋篠宮殿下とは、殿下が会員の『生き物文化誌学会』の例会を玉川大で開いたことが最初のご縁。その後、教員が何度か殿下にハチの研究についてご進講に伺いました。悠仁さまも昆虫がお好きなので、9年ほど前から、いつか大学見学へ行きたいと仰っていた」

     見学後は、炊き込みご飯やバター醤油焼きなど、同大の養殖アワビを使った昼食が振る舞われ、悠仁さまはぺろりと完食された。

     悠仁さまをめぐっては、公の場でのお姿が「無表情」と取り沙汰されたこともあった。だが小原氏は等身大の悠仁さまに、全く異なる印象を抱いたという。

    「ネットで言われているような印象とは違うというか……。ずっと和やかな雰囲気で、悠仁さまもご自分で色々と熱心に質問されていました。『あんなに表情豊かな悠仁さまを初めて見た』と、番記者さんも驚かれていたとか」

     小室圭さん(32)・眞子さん(32)の結婚問題に端を発し、宮邸の改修問題など、かねてから説明不足や“秘密主義”が指摘されてきた秋篠宮家。悠仁さまについても記者たちの間で「普段の様子が分からない」との声が上がっていた。秋篠宮家で、悠仁さまに関するこうした方針を深慮してこられたのが紀子さまだ。

    「紀子さまはこれまで、情報を随時公開していくことに積極的ではありませんでした。天皇家と違い、宮家のお子さまのご成長過程を積極的に発信するような前例もなかった。しかし悠仁さまは“次代の天皇”であり、今年は成年を迎えられます。国民に親しみを持ってもらえるように、そのお姿を可能な限り随時公開していこうと、紀子さまが大きく方針を転換されたのです」(秋篠宮家関係者)

     次代の天皇として、国民に受け入れられるために――。ここ数カ月を振り返ると、思い悩まれ、焦りのなかで試行錯誤を続ける紀子さまの姿が見えてくる。

     紀子さまが「年末から体調が優れず、通常の食事がとれない状態」だと宮内庁が公表したのは、今年1月6日のこと。ストレス性のものと囁かれる「胃腸の症状」が強まる直前の昨年12月1日、紀子さまは、災害や事故などで家族を亡くした人々への寄り添いがテーマの映画「グリーフケアの時代に」の公開初日に訪れていた。

     上映後、紀子さまは出演者やスタッフとご歓談。池田小の殺傷事件で長女を失ったことを契機に、自身もグリーフケアの活動を始めた女性に、紀子さまはこうお尋ねになった。

    「あれほどのつらいことのあと、悩み悲しむ方の相談を受けるときに、どのようなお気持ちでいらっしゃるのですか」

     女性はこう答えた。

    「皇室の皆様が国民にむける温かい眼差しや佇まい、その姿がグリーフケアそのもの。僭越ながら参考にさせていただいています」

     それを聞いた紀子さまは突如、ぽろっと涙をこぼされたという。案内役の益田祐美子さんが振り返る。

    「形は違えど、同じ思いや悲しさを共有していらっしゃるのかも、と感じさせられました」

     国民の思いに寄り添う。そんな理想像のもと、紀子さまは人知れず活動を続けてこられた。3月1日には千葉県市川市の筑波大学附属聴覚特別支援学校を訪れ、幼稚部でひな祭りの催しをご見学。案内役を務めた、西垣昌欣校長(当時)が振り返る。

    「ひな人形に扮した子供たちが楽器を演奏し、歌に合わせて踊る小さな発表会です。宮内庁から『小さな子供への“聞こえ”の支援を見学できるような機会があれば』と打診があったためご提案したもので、取材設定は無し。騒ぎにならないよう、学校にもお気遣いいただいたのだと思います」

     だが、思うように改善しないご体調が、深く影を落としたご活動もあった。

     2月14日には、秋篠宮が金沢市の済生会金沢病院をご訪問。能登半島地震の支援活動などを視察され、被災者を見舞われた。

    「体調不良がなければ、ご夫妻でご訪問されたはずです。実際、このころ紀子さまは周囲に『被災地へ行きたい』と相談されていた。国民の悲しみに寄り添うことを理想とする紀子さまは、是が非でも一緒に訪問されたかったでしょう」(前出・秋篠宮家関係者)

     そんな中、紀子さまを一層焦らせる出来事があった。宮内庁が運営する、公式インスタグラムの開設である。

     4月1日に天皇や雅子さま(60)、愛子さま(22)の家族写真など公開されたのを皮切りに、4月9日時点での投稿は25件。フォロワーはわずか1週間余で首相官邸の28.9万人を大きく上回る81万人を達成した。BBCやニューヨーク・タイムズなど海外メディアでも取り上げられ、話題を呼んだ。

    「新しい外国の特命全権大使が信任状を天皇陛下に捧げる『信任状捧呈式』についてインスタで告知したところ、当日は若い世代が続々と東京駅に集まり、馬車列を見学したのです。『若者が、しかも平日の催しに来るなんて』と庁内は沸きあがっています」(前出・宮内庁関係者)

     海外賓客をもてなす雅子さまの正装姿や、公務に加わる初々しい愛子さまのご様子が目を引く“雅子さま&愛子さまインスタ”。新しい広報活動は好調に見えるが、そこに欠けているものがある。

    「25件の投稿に、秋篠宮家が殆ど登場しないのです。宮内庁は当面の方針として『両陛下のご活動を中心に投稿する』としている。宮内庁としては天皇ご一家を優先したのかもしれませんが、ご一家の長女である愛子さまが写っているのに、皇位継承順位が1位、2位の秋篠宮さま、悠仁さまが紹介されないのには、違和感を拭えません」(同前)

     宮内庁に秋篠宮家のご活動の投稿予定を尋ねると、

    「秋篠宮皇嗣同妃両殿下を含む他の皇族殿下方のご活動等に関する発信については、今後改めて検討をすることとしています」

     最新の広報活動から取り残される形になった秋篠宮家。紀子さまの焦りは最近、ある「独自路線」へと結実している。

    「お出ましの際に、取材に来た雑誌や新聞社などの番記者にお声をかけられるようになった。従来はあまり無かったことです」(皇嗣職関係者)

     例えば2月16日の「現代女流書100人展」のご鑑賞では、最後に記者たちが並ぶ方へ向き直られ、

    「皆さん書道はされていましたか」

     とお尋ねに。

    「同じ2月、自らが総裁を務める結核予防会の講習会に出席された際も、『皆さんも一緒に学んでいきましょう』と一言お声をかけられていました」(前出・皇嗣職関係者)

     別の秋篠宮家関係者が明かす。

    「年1回の結核予防講習会は、紀子さまが毎回出席している思い入れの強い行事です。結核の予防啓発にはメディアの力が必要ですから、協力を仰ぎたいというお気持ちで、お声をかけられたと聞きました。最近の紀子さまは、メディアと良好な関係を築きたいという思いを強められている」

     情報解禁とメディアへのお声かけ。紀子さまは“菊のカーテン”を少しずつ開こうとなさっているように映る。ただ、

    「情報公開の姿勢だけで今の秋篠宮家への逆風がやむとは思えません。情報を公開するにしても、一番大事なのはその中身です。真価は今後、問われることになる」(皇室ジャーナリスト)

     そんな紀子さまが今、最も頭を悩ませておられるのが、大学受験について。高校3年生になられた悠仁さまは、大学進学にあたり「自然誌」を学べる進路を検討していると公表されたが、

    「悠仁さまは高校進学時に『提携校進学制度』を利用されたことから、『特別扱い』と批判を集めた。紀子さまは、大学進学ではその轍を踏まないように“どんな試験を受け、どう発信すれば国民の納得が得られるか”ということを思案しておられるのです」(前出・秋篠宮家関係者)

     別の悩みの種もある。秋篠宮家の長女、眞子さんが昨年11月、米ニューヨーク・マンハッタンのマンションから夫の小室圭さんとともに転居。その後の様子が分からず「雲隠れ状態」と報じられてきたが、

    「紀子さまや秋篠宮は、相変わらず眞子さんとは“断絶”状態で、佳子さまを通じて近況を知る状況が続いています。最近『女性セブン』(4月18日号)が転居先での2人の様子を詳報しましたが、紀子さまは転居先の住所もご存知なかったそうです」(同前)

     眞子さんの渡米以降、紀子さまはお誕生日にあたって眞子さんのお印であったモッコウバラでアーチを作っていると言及されるなど、眞子さんを気にかけてこられた。

    「近況がうかがい知れない状況には、気を揉んでおられるでしょう。さらに、秋篠宮の知人で、圭さんの後見人を買って出ていた『イセ食品』の伊勢彦信元会長も、今年1月に破産手続きが開始され、圭さんの面倒を見るどころではなくなった。紀子さまにとっては、眞子さんの近況を伝えてくれるパイプ役を1人失ったことになります」(同前)

     紀子さま“転機”の春。焦りと苦悩のトンネルから抜け出せるのか。

    • 匿名 より:

      >「皆さん書道はされていましたか」
      あら 不思議!
      日本人はこのような質問はしませんよ。

    • 匿名 より:

      >秋篠宮の知人で、圭さんの後見人を買って出ていた『イセ食品』の伊勢彦信元会長も、今年1月に破産手続きが開始され、圭さんの面倒を見るどころではなくなった。

      これぞ「秋篠宮家不幸の法則」適用ですね
      偽皇族を盛り立てようなんてするから、天罰が当たり、生活が立ちゆかなくなる

  53. 匿名 より:

    愛子さま 終戦記念日に午前半休を取得して御所で黙祷されていた…貫かれる「平和を人任せにしない」意志(女性自身)

    御所で黙祷すんなよ
    時間があるなら靖国神社行って黙祷しろ
    ついでに中国人が落書きしないかパトロールしろ

  54. 匿名 より:

    40代から既に婆さん面だった皿。本当は100歳過ぎていたりしてね。
    だから、もうあの方はよろしいのでは?
    ついでにニダ嫁も一緒に連れて逝ってちょうだい。

  55. 匿名 より:

    小林鷹之議員は、開成高、東大卒、元財務官僚だが、刺さらなかった。

    東大卒の時代ではない。

    悠仁は慶応進学がいい。

  56. 匿名 より:

    小林鷹之議員は、開成高、東大卒、元財務官僚だが、刺さらなかった。

    東大卒の時代ではない。

    悠仁はツクフ中退、授産所就職がいい。

    • 匿名 より:

      ズルフ中退でも充分だよね。
      本来のズル吉君の実力を考えれば、過ぎた学歴だよ。

  57. 天皇徳仁 より:

    「母の愛、永遠に」

    広島の夏の日差しが降り注ぐ朝、悠仁は母の手を握りしめていた。母の顔には痛々しい火傷の跡が残っていたが、その目は優しさに満ちていた。

    「悠仁、よく頑張ったね」母は弱々しい声で言った。「あなたがいてくれて、本当によかった」

    悠仁は涙をこらえながら答えた。「お母さん、僕こそお母さんの子供で良かった」

    あの日から9日が経っていた。原爆が落ちた日、14歳の悠仁は学校への道すがら、突然の閃光と轟音に包まれた。気がついたとき、彼の周りは地獄絵図だった。

    瓦礫の中から母を見つけたとき、悠仁の心は凍りついた。母の体は火傷で覆われ、「水…水をくれ」と苦しそうに訴えていた。

    悠仁は必死に母を看病した。水も食べ物も乏しい中、彼は母のために奔走した。夜になると、母の苦しむ姿に胸を痛めながら、悠仁は母の手を握り締めて眠った。

    「悠仁…あなたがいるから…私はまだ生きていられるのよ」母の言葉に、悠仁は強く頷いた。

    しかし、その日の午後、母は激しい痛みに耐えかね、近くの川の水を飲んでしまった。黒く濁ったその水は、放射能に汚染されていた。

    「お母さん、だめだよ!」悠仁の叫びも空しく、母は苦しみながら息を引き取った。

    「お母さん…お母さん!」悠仁は母の冷たくなった体を抱きしめ、涙が止まらなかった。

    年月は流れ、悠仁は大人になった。彼は被爆者として、平和の尊さを訴え続けた。そしてある日、国会の場で証言する機会を得た。

    「私の母は、最後まで私のことを思い、愛してくれました」悠仁の声は震えていた。「この愛を、そして平和の尊さを、私は生涯をかけて伝え続けます」

    会場は静まり返り、多くの人々が涙を流していた。悠仁の言葉は、戦争の悲惨さと、それでも消えることのない人間の愛の強さを、深く心に刻み付けたのだった。

    その夜、悠仁は空を見上げた。そこに浮かぶ星々が、まるで母の優しい目のように輝いているように感じた。

    「お母さん、僕はちゃんとやってるよ。これからも、お母さんの思いを胸に生きていくから」

    風が優しく頬を撫でていった。それは、まるで母が天国から悠仁を励ましているかのようだった。

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