令和初の終戦記念日
宮本タケロウ Twitter
令和初の終戦記念日が間近に迫ってまいりましたね。
1975年に昭和天皇が親拝されたのを最後に、天皇の靖国神社参拝が途絶えてから44年が経ちました。昭和天皇が参拝を辞めたきっかけは、1978年のA級戦犯合祀であるいう説が有力です。
今回はこのA級戦犯合祀と天皇親拝の関係を論じていきたいと思います。
「富田メモ」と「卜部亮吾侍従日記」
さて、A級戦犯の合祀が靖国親拝中断のきっかけと述べましたが、その証拠は宮内庁長官・富田朝彦の「富田メモ」と昭和天皇に20年仕えた侍従・卜部亮吾の「卜部亮吾侍従日記」です。
私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ
(富田メモ)
靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず(2001年7月31日)
(卜部亮吾侍従日記)
歴史学的な史料批判の観点から、これらの一次資料を論駁するのは極めて困難です。平成の陛下や現在の陛下が靖国参拝されない理由は靖国神社が政治問題化されていると言う状況論的な理由がありますが、少なくとも昭和天皇が参拝をやめた理由がA級戦犯合祀であることは間違いないでしょう。
A級戦犯は昭和天皇の身代わりに処刑された
しかし、恐れながら、筆者は、A級戦犯合祀を理由にした親拝を止めた昭和天皇のお考えには全く賛同できません。
なぜなら、昭和天皇自身もA級戦犯として訴追される可能性があったからです。
昭和天皇からすれば、靖国に合祀されているA級戦犯は自分の身代わりになって処刑されたと言えるでしょう。昭和天皇が戦犯指定されなかったのは単なるGHQの占領政策の都合でしかありません。
よく誤解されていることですが、昭和天皇は軍部の操り人形ではありませんでした。
昭和天皇は戦争指導者
昭和天皇が、政府が決めたことに判を押すだけの存在ではなかったのは多くの昭和史研究からも明らかです。以下のように、昭和天皇は積極的に戦争に関わっていました(「好戦的であった」とは意味しません)。
「かかる危機に際して盧溝橋事件が起こったのである。これは支那の方から仕掛けたとは思わぬ。つまらぬ争いから起こったと思う。その中に事件は上海に飛火した。近衛は不拡大方針を主張していたが、私は上海に飛火した以上、拡大防止は困難と思った。当時、上海の我陸軍兵力は甚だ手薄であった。ソ連を怖れて兵力を上海に割くことを嫌っていたのだ」
(『昭和天皇独白録』1937年8月18日宮中大本営作戦会議の回想)
御上:作戦構想についてはよく分かった。南方をやって居るとき北方から重圧があったらどうするか。
総長:北方に事が起これば支那より兵力を転用することなども致しまして、中途でやめる様なことはいけません。
御上:それで安心した。
(増田都子、前掲書、『木戸幸一日記』から引用)
他にも、戦争指導者としての昭和天皇の実像は山田朗『昭和天皇の戦争』等により詳細が書かれていますのでお勧めです。
韓国人や極左からしたらA級戦犯も昭和天皇も同じ
また、そもそも、あいちトリエンナーレの昭和天皇の写真を燃やした(らしい)「表現の不自由展」の例を考えればわかりますが、極左からすれば、昭和天皇もA級戦犯も変わりません。

また、こんな発言もありましたね。
「一言でいいのだ。(中略)私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるだろう」
(ムン・ヒサン韓国国会議長発言、2019年2月12日)
腹立たしいですが、韓国人や極左からすれば天皇も戦犯(の主犯)ですし、事実として戦争指導者でした。
ということを考えると、「A級戦犯」という単なる政治的フレームを論拠に「靖国神社参拝を辞める」というのは、自分の身代わりに処刑されたかつての部下たちに非常に失礼であると言えるでしょう。
「A級戦犯」という言葉にこだわるのはバカバカしい
また、A級戦犯と言えば、「靖国合祀」ばかりが注目されますが、靖国に祀られるA級戦犯は死刑か起訴後に死亡した14人だけで、有罪のA級戦犯自体は合計25人です。死んだ14人は靖国神社に合祀されたがために、死後も批判の対象となっていますが、有罪だけど死刑にはならなかったA級戦犯11人は幸福な戦後を生きました。
例えば外務大臣・重光葵です。
重光葵は出所後、日本が国連に加盟したときの外務大臣になりました。「A級戦犯」が国連で演説したわけですが、それに連合国が文句を言ったわけではありません。
また、周恩来が率いた1955年のバンドン会議開催時の外務大臣も重光葵でした。現在、中国はA級戦犯が祀られている靖国神社を苛烈に批判していますが、当時の周恩来が、日本の外相がA級戦犯であることを問題視したという記録を私は知りません。
批判しないどころか、A級戦犯が派遣した日本政府代表と関係改善の会談まで行ったというのが歴史の真実です。
いかがでしょう?
「A級戦犯」という政治的用語にこだわるのが、いかにバカバカしいかお分かりかと思います。
昭和天皇のお気持ちは仕方ないかもしれない
もちろん昭和天皇ご自身はまぎれもない戦争の当事者であり、かつての部下でもあるA級戦犯個人に対して、様々な感情をお持ちなのは仕方ありません。その点では靖国親拝中止は仕方がなかったかもしれません。
「あいつのせいで戦争が長引いた」とか「あいつがあの時ああしたから戦争になった」と、当事者として、様々な感情はお持ちでしょう。
しかし、であるならば、個人名を以て批判すれば良いと思います。間違っても、「A級戦犯」という乱暴な言葉を使うのはおつつしみになるべきではないでしょうか。
なにしろ、繰り返しますが、昭和天皇自身もA級戦犯に指定されるかもしれなかったわけですから。
両陛下、靖国神社にご参拝なさいませ
昭和が歴史となりゆき、平成も終わり、令和が始まりました。
令和の御代の天皇陛下には、昭和天皇のような「A級戦犯」に対する個人的なわだかまりはありません。
であるなら、「A級戦犯」という政治的フレームにこだわらず、むしろ「戦犯」という汚名を甘んじて受けた上、死んで昭和天皇をお守りした、そのような意味で英霊なのだとお思いになっていただき、靖国神社に親拝していただきたい。
それが、まぎれもない戦争当事者であった昭和天皇の皇孫としての義務ではないかと、私は思います。