皇室

天皇御親拝を捨て、A級戦犯を取った 保守こそ靖国神社を非難すべきではないか?(一条あやか)

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靖国参拝と天皇陛下

毎年、8月15日になると、「誰それが靖国神社に参拝した」「公人としてか? 私人としてか?」といったニュースがテレビを賑わす。

保守派は首相の靖国参拝を切願しているが、保守から絶大な支持を得ている安倍総理が靖国を参拝する気配はない。しかし保守派は、なぜかそのことを批判できずにいるという不思議な構造がある。

これと同じ構造は、天皇陛下の靖国御親拝にもみられる。

保守派は天皇陛下が終戦記念日に靖国神社に行幸賜れることを切願する。しかしその願いは、久しく叶っていない。平成の天皇はとうとう一度も靖国を訪れなかった。令和の時代も同じ流れになるだろう。

靖国はもともと天皇のために戦い命を落とした人々を追悼・顕彰する神社だ。設立由来からすれば、天皇陛下に親拝賜れないことは、神社にとっても、祀られている英霊たちにとっても不本意でしかない。仮に靖国神社の振舞に恥じるところがないと信じているのであれば、靖国神社も保守派も、一度も靖国の地に訪れない天皇陛下を批判して然りである。ところが、不思議と保守派から天皇を批判する声は聞こえない。

もちろん天皇陛下に苦言した人物もいる。靖国神社前宮司の小堀邦夫氏だ。小堀氏は、各地に慰霊の旅に出かけながらも靖国を訪れない平成の天皇を明確に批判した。本来ならば慰霊のために靖国神社に訪れるべきなのに、そうはならさず、各地に出かけていることは、「靖国神社は不要」と陛下が行動で示しているようなものだからだ。しかしこのような見解は、「神道が天皇を批判する」というタブーを犯しており、(本心は別として)保守派たちの主流には全くならなかった。

そもそも御親拝されない理由は?

靖国に御親拝されない陛下。

そもそも、なぜ天皇陛下は靖国神社を訪れないのか?

この原因は明確にわかっている。本サイトの記事「両陛下、靖国神社にご参拝なさいませ」のなかで、宮本タケロウ氏がこれを詳述しているが、端的に言えば「靖国神社にA級戦犯が合祀されている」ことに尽きる。

もちろんこの他にも、靖国神社が政治問題の中心になってしまったこと、周辺諸国の感情を配慮するなど様々な原因が考えられる。

しかし少なくとも昭和天皇が靖国親拝を取りやめ、その精神が平成・令和と引き継がれた発端は「A級戦犯合祀」であることは確実で、保守派もこれを否定できていない。

天皇御親拝よりもA級戦犯合祀を優先させた靖国神社

靖国神社がA級戦犯を合祀した経緯はかなりの部分明らかになっている。

第6代靖国神社宮司・松平永芳氏が、「英霊にこたえる会」など保守団体の意向を受けて、半ば独断に近い形で合祀を強行した。

合祀前に靖国神社は宮内庁に打診をしている。その時対応した徳川義寛侍従次長は、陛下の意を汲み「そんなことをしたら陛下は行かれなくなる」と警告を発した。だがこの警告を靖国神社は無視した。

A級戦犯合祀を強行した後、池田権宮司が靖国神社に上奏名簿を宮内庁へ届けたとき、対応した馬場久夫氏や侍従から「これでは陛下はお参りできなくなる」「これで陛下はお参りに行けなくなりますが、いいんですね」と警告されたが、池田権宮司は「わかっています」と答えたという。つまり当時の靖国神社側は、A級戦犯を合祀すれば陛下が親拝できなくなることを知ったうえで、合祀を強行したのである。(秦郁彦『靖国神社の祭神たち』新潮社, 165-211頁)

言い換えれば、靖国神社は天皇陛下よりもA級戦犯をとったのである。

その後、松平永芳宮司は、靖国が政治問題になっていることを理由に「私の在任中は天皇陛下の御親拝は強いてお願いしないと決めました」(『祖国と青年』1993年1月号)などと嘯いているが、天皇陛下が靖国にお参りできなくなった現況を作ったのは自分自身であると知ったうえでの発言だ。そもそも靖国神社を政治問題にまで格上げさせた責任は靖国神社側にあるといって過言ではない。

最近の保守は「天皇御親拝」を大きな目標の一つとして掲げているが、もし本気で陛下にお参りいただきたいと願っているならば、A級戦犯合祀を強行した靖国神社そのものをまず批判すべきではないか? にもかかわらず不思議と保守の間で靖国神社を批判する声は聞かれない。批判すべきものを批判できない保守の不思議な構造がここからも読み取れる。


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