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愛子さまより悠仁さまがイイ! 女系容認派は男系を尊重すべき

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女系容認派はマジョリティ

 令和の御代に代わり、一層盛んになってきた皇統の議論ですが、リベラル層をはじめとし、日本人のマジョリティが女系天皇を容認しているという世論調査結果が出ています。

 この問題に関して、今回は男系維持と女系容認のどちらが正しいかではなく、男系絶対派をマイノリティと定義し、「多文化共生」と「社会的包摂」の観点から、女系容認派の方々に再考を促す論考をしてみたいと思います。

男系絶対派を鼻で笑うな!

 まず、女系容認派の方々に考えてもらいたいのですが、男系絶対派は「男系が絶えたら皇統断絶で日本が終わる」と悲壮に切迫した妙な終末思想の持ち主たちです。

 マジョリティであるリベラル/女系容認派は「ハハ、愛子様の子供が天皇になったら皇統断絶、日本が終わるなんて…(笑)んなワケねーだろ!バカ男系カルト!」と鼻で笑わずに、男系絶対派の切迫感を取り除く「歩み寄り」をするべきではないではないかと筆者は思います。

男系絶対派は宗教マイノリティ

「男系絶えたら皇統断絶」と考える男系絶対派を、万世一系を信じてそれに自己没入をする「皇国史観」教という宗教の信者と仮定しましょう。

 とすると、日本社会のマジョリティ(女系容認)にとって、男系絶対派は「皇国史観」教という宗教を信じる宗教的マイノリティであると言えます。

(「男系絶えたら皇統断絶」と主張する書籍:谷田川惣著)

 皇国史観が、国家神道として近代日本に災禍をもたらしたのは事実ですが、一つの宗教として信者の信仰世界は守られるべきでしょう。これは大航海時代や植民地支配に犯した罪とは別にカトリックという宗教の信仰が守られるべきであるのと同様です。

 基本的には女系容認派は頭の柔らかなリベラルの方々だと思いますので、ぜひ頭の体操をしていただきたいと思います。

自衛官護国神社合祀事件

 1988年に最高裁判決の出た「自衛官護国神社合祀事件」という訴訟がありました。

自衛官護国神社合祀事件とは:

殉職した夫の自衛官が護国神社に合祀されたことを、遺族である妻のクリスチャンが、信教の自由を侵害されたとして、合祀の取消を求めた訴訟。

最高裁は、神社合祀により妻の信教の自由が侵害されたこととは認めつつも、社会的に許容できる「受忍限度」であるとして、訴えを認めなかった。

『法学館憲法研究所ウェブサイト』等を基に抜粋編集

 この判例は、マイノリティ(クリスチャンの妻)にマジョリティ(その他大勢)に対する宗教的寛容さを求めた点など、一般にリベラル側から多く批判されている判例です。

 この判例にて、クリスチャンの妻は「夫を神社で慰霊したことは社会通念上普通であって、妻以外の遺族の多くも望んでいる。それに、家庭内で夫に対するキリスト教的な慰霊を行うのはできるんだから問題ない。神社も神社で宗教活動の自由があるので、妻はそれを受忍すべきだ」という理屈を言われたわけです。

 が、当の妻からすれば、神社での慰霊は自分のクリスチャンとしての信仰世界が壊されるわけですから、信教の自由の侵害であり、非常な精神的苦痛です。

女系天皇誕生は「受忍限度」か?

 これを「マジョリティの空気(社会通念)」と「マイノリティの宗教(切迫した信仰)」の対立としてとらえることもできます。

この事例を皇統の議論に置き換えてみましょう。

 女系天皇が容認された場合、男系派は「女系天皇は社会通念上普通であって、国民の多くが女系を望んでいる。それに、女系天皇が誕生しても皇室は存続するため、男系絶対派も女系天皇を受忍すべきだ」という理屈を言われることになります。

 が、当の男系絶対派からすれば、女系天皇の誕生は万世一系という自分たちの信仰世界が壊されるわけですから、信教の自由の侵害であり、非常な精神的苦痛となるでしょう。

「女系天皇賛成」というマジョリティの空気によって、マイノリティの信教の自由が侵害されているということになります。

「女系容認派」はしっかり「女系容認」すべき

 一般に女系容認派の方々は旧宮家の皇籍復帰に反対をしていますが、その主な理由は愛子さまがいらっしゃるのに、それを差し置いて全く知らない民間人の旧宮家が出てくることに対する違和感でしょう。

 旧宮家には朝香宮や東久邇宮など、明治天皇や昭和天皇の女系子孫の宮家がいらっしゃいます。「女系容認=女系の血統を容認する」という理屈から言えば旧宮家の女系血統の近さをもって皇籍復帰を容認しても良いように思えますが、旧宮家と現皇室の女系での近親さは女系容認派からはあまり重視されません。

 つまり、明治天皇や昭和天皇の女系子孫のオーソリティも認めないわけですから、女系容認派は正確には「旧宮家復帰反対派」または「現在の皇室の枠組みを維持したい派」というほうが正確であると思われます。

 つまり、皇統の議論と言っても、実際には女系と男系という血統の議論というよりも、「皇室という聖域の枠組み」を重視するか否かという議論であるという方が正確です。「愛子さまがいらっしゃるのに、民間人の旧宮家なんか反対」という具合でしょうか。

「女系容認絶対」はマイノリティへの不当な差別

 では、愛子さまが天皇に即位する前提で、旧宮家が復帰するという策はどうでしょう?

 今の皇室の枠組みを保ち、愛子さまへの優先的な皇位継承権を認めた上での旧宮家の皇籍復帰には、女系容認派も異論はないはずだと言えます。

 それでもなお「旧宮家の復帰には絶対反対」というのは、男系絶対派(皇国史観教の信者)というマイノリティに対する不当な差別ではないでしょうか。

リベラルならばリベラルらしく振舞え!

 リベラルであればこそ、男系派の主張にも少し、耳を傾けるべきではなかろうかと筆者は主張します。男系派が大幅に譲歩するかわりに、女系派が歩み寄りをして、玉虫色でも答えを見つけなければいけない。そうしないのであれば、女系容認派はリベラルと言いつつも、単に他者(マイノリティ)を排除しているだけではないかと思えて、悲しくなります。

 女系容認派も男系絶対派も、二者択一で相手を論破することに血眼になるよりも、多くの人が納得しあえる社会を目指すべきではないでしょうか。

社会的包摂による多文化共生を

 皇統の議論に限らず、異論をも社会に包摂し、寛容さによって多文化共生を実現していくことが令和日本の課題となるでしょう。

 菊ノ紋ニュースは社会の良心として、今日もインターネット空間に公論を呼びかけます。

(宮本タケロウ Twitter


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