雅子さま

「ママ、素敵だったよ!」愛子さまのお出迎えの一言に、雅子さま「三度目の涙」

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文/編集部

奉祝曲と国民の声に涙を流された雅子さま

11月10日、天皇陛下の即位を祝うパレード「祝賀御列の儀」が行われ、沿道には約11万9000人が集まり、天皇皇后両陛下を祝福した。

皇室の人々は、多くの国民の前では、感情を表に出すことが少ないが、9日に行われた天皇陛下の即位を祝う国民祭典と、10日に行われたパレードでは、皇后・雅子さまが涙を見せられた。

国民祭典では、人気アイドルグループ「嵐」の5人が奉祝曲を披露。雅子さまはそのステージを見つめ目に涙を浮かべながら奉祝曲を聴かれていた。10日に行われたパレードでは途中から涙ぐまれ、赤坂見附で立体交差点の陸橋の上を通るため、沿道に人がいなくなった瞬間にはハンカチで涙を拭われたようだ。

雅子さまの涙の理由

果たして、雅子さまが涙を流された理由はなんであったのか? 「この涙の理由を理解するには、これまで雅子さまが歩まれた長い道のりについて理解する必要があります」と、長年天皇家と近い関係にある皇室関係者次のように語った。

雅子さまがハーバード大、東大を経て、86年に雇用機会均等法が施行された翌年、“均等法世代”の初の女性外交官として外務省に入省した後に、皇太子のお妃候補として名前が挙げられた際には、その経歴と才色兼備ぶりは注目を浴びました。

当時、いまだ閉鎖的な男性社会で苦しんでいた多くの雅子さまの輝かしい存在は、多くの女性にとっての希望でもありました(皇室関係者 以下同)

しかし、その後皇室入りした雅子さまを待ち受けていた運命は過酷であった。

皇室に入られた後には、外交官としてのキャリアを活かしたいと考え、宮内庁の幹部等とも公務のあり方等に関して相談をされていた雅子さまですが、当時雅子さまの主張はほとんどまともに取り合ってもらえなかったようです

結局、雅子さまに期待されたのは「公務」ではなく「お世継ぎ」であったようだ。かつて、与党の政治家が「女は子供を生む機械」と発言し、大変なバッシングを受ける事件があったが、雅子さまが皇室入りされたばかりの時代の官僚の文化や空気は、そのような男性中心主義的な価値観に強く支配されていた。

「当時、不妊と役所や世間からのプレッシャーに苦しんだ雅子さまは、結局は公務の軽減がお世継ぎに繋がるという宮内庁の考えに従うような形で公務を減らされていきました。

海外のメディアの中には、“マサコはかごの鳥”などというタイトルをつけて報道する機関すらあったようですが、それでもお世継ぎに専念することが皇室のため、ひいては日本国民のため、と考えて雅子さまは宮内庁の考えに従ったのでしょう。側近の職員などは、不憫な想いをされている雅子さまのためを想い、共に悲しむ者や、上層部に抗議する者まで様々であったようですが、結局何ひとつ願いは聞き入れられなかったようです

その後、苦しまれた末に、雅子さま37歳の時に愛子さまがお生まれになったが、女子の出産のためにお世継ぎの問題は解決されずに残った。

「宮内庁は、雅子さまに対して、“男子の出産を”という無言の圧力をかけるようになりました。さらに時には、“第二子の出産”について雅子さまの前で直接露骨に話すことさえあったようです

「今生まれたこの子は祝福されているのだろうか? これまで長い期間辛い不妊治療に耐えてきた努力はなんだったのか?」と思い悩むこともあった雅子さまだが、ご出産後初の会見では、涙を浮かべながら、「生まれてきてくれてありがとうという気持ちになって―」と語られた。

雅子さまは、人一倍愛子さまへ愛情を注がれながら育ててきましたが、その裏には“たとえ望まれない性別であっても、親が何倍もの愛情を注いであげればいい”というお考えがあったようです」

その後も体調不良や適応障害に苦しまれた雅子さまであったが、皇太子さまや愛子さまと共に苦しみを乗り越えられ、皇后陛下となられてからは、多くの国民から大変な祝福を受けた。

ある時、雅子さまは側近の職員に対して「自分の存在が何かの役に立てているのかもしれないと実感できたのは、皇室に入って初めてのことかもしれません」とそのお気持ちを語れたこともあったという。

「おそらく、パレードの最中には、国民からの祝福の声を受けると同時に、これまでの苦労など様々な想いが頭の中を駆け巡り、胸が詰まり、思わず涙を堪えきれなくなってしまったのかもしれません

また同時に、雅子さまの歩まれたこれまでの苦しかった道のり、そして新しい時代の皇后として祝福されているその姿を観て、思わず涙を流さずにはいられなかった国民も少なくなかったはずだ。




雅子さま3度目の涙

多くの国民の祝福を受けてパレードを終えられ、赤坂御所に戻られた雅子さまの帰りを最初に歓迎したのは愛子さまだったようだ。

「愛子さまは、パレードから帰られた雅子さまの姿を観て、“おかえり”と言われ、その後に続けて“ママ素敵だったよ!”と声をかけらました。その言葉を聞いた雅子さまは、思わず目に涙を浮かべながら、愛子さまを抱きしめられたのです

目に涙を浮かべながら、愛子さまを抱きしめる雅子さまの姿をその場で観ていた関係者らは、皆、感動のあまりもらい泣きをせずにはいられなかったという。

雅子さまには、新しい時代の日本国の象徴として、そしてさらに娘を愛する一人の母親として、今後も活躍されて欲しいと切に願うばかりである。

https://kikunomon.news/article/19713

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