皇室

男系信者の妄言を破折する 谷田川惣氏への御忠言(宮本タケロウ)

谷田川氏に再反論する

宮本タケロウ Twitter

私が書いた記事「谷田川惣氏への公開挑戦状」に対して、谷田川氏からの反論が8月14日になされた。

反論では、「公開挑戦状」にて私が谷田川氏の神話解釈に触れなかったことについて、谷田川氏は「論文の一部だけを切り取っている」と私を批判しているのだが、そもそも私は神話の意味を云々するのはあまり意味がないことだと思うので、「公開挑戦状」の論点として捨象したにすぎないことを述べたい。

無駄な論点は省きたいのだが、谷田川氏の神話解釈に関する私の意見を簡単に述べたい。

天照大神の子も孫も男だから、「子孫」は「男系」に決まってる…?

『日本書紀』で天照大神が「我が子孫が王となる」と述べた意図について、谷田川氏は「天照大神は息子の息子(ニニギ)に向かって「我が子孫」と言っている。つまり、ニニギと天照大神は男系でしか繋がらないから、ニニギ以降の子孫も男系オンリーだ」という主張らしい。

もちろん論理として理解はできるが、ニニギ以降をも縛る継承ルールの根拠としては決して「デマ」とは言わないが、説得力が弱いのではないか。

上記の谷田川氏の神話解釈は、

  • 「天照大神が単系や非単系などを意識していたのか?」
  • 「古事記と日本書紀を一緒に論じるな」
  • 「・・・てか、ニニギの子孫は男であれ女であれ、天照大神の子孫だろう」

などと突っ込まれる余地がある。

谷田川氏も反論記事上で「賛同するかどうかは別にして、一つの論理を示している」と述べているが、これは、賛同しない人が一定数いると本人も自覚しているからだろう

谷田川氏も昔はそんなこと言ってなかった

実は谷田川氏も以前は、「子も孫も男だから天照大神の言う「我が子孫」は男系だ!」とは言っていなかったように思える。

「天照大神の子孫が王であるべき国」の”子孫”とは、男系子孫であると、神話のなかの天孫ニニギノミコトにはじまり、神武天皇から歴代天皇は解釈してこられたということです。

谷田川惣のコラムブック-30分でわかる皇位継承論Q&A

これは「天照大神の言う「我が子孫」を、あくまで男系で捉えて継いできたのが皇室の歴史だ」という主張である。これなら理解できる。まったく同感である。天照大神がなんと言おうが歴代天皇が男系で紡いできたことは事実だからだ。

いずれにせよ、「神が述べた言葉をどう解釈するか」には主観的正しさしかないだろう。例えば、カトリックは「父と子と聖霊の御名によって」洗礼を受けなければならないと言うが、「イエス・キリストによって」でなければ洗礼ではないという教派もある。また、クエーカーには洗礼がない。

キリスト教徒以外にとってはどうでも良い違いである。

「血統には男系しかない」は大ウソ

さて、ここからが本題だ。

私の「谷田川惣氏への公開挑戦状」の論点を簡単に述べる。

  1. ニニギは天照大神の男系の孫
  2. 天照大神はニニギに向かって「我が子孫が王」と言っている
  3. 血統には単系か非単系しかない
  4. 単系の血統に女系は存在しない
  5. よって、我が子孫=男系子孫だ

これが谷田川氏の論理だと私は理解しているが、私は「公開挑戦状」で単に「④はトンデモだ」と言っているだけである(そもそも「我が子孫」をわざわざ単系に絞って解釈する意味が私にはわからないが)。

関連記事:谷田川惣氏への公開挑戦状、または谷田川惣氏からの回答

谷田川氏の言う「母系制社会」とは?

『皇位継承事典』で、

「血統の形態には「男系」か「非男系」かのいずれかしか存在しない。母方だけでつながっている血筋があるなら女系となるが、そのような血統はどこにも存在しない。」

『皇位継承事典』

と言う谷田川氏に対して、私は「公開挑戦状」にて、「血統に女系はある。母娘で家産が継がれる母系制社会がある」と指摘した。

これについての谷田川氏の反論はこうだった。

(宮本は)「母系制社会」と「女系血統を重んじる」ことの違いをわかっていない。もっと言うと、「血統」と「血縁」の違いも理解しない単なる無知である。

母系制にも様々な議論があるのだが、端的に母系を中心に相続する社会と定義しよう。

(中略)

問題は、男子しか生まれなかった場合、母系制社会ではどうするのか。母の姉妹に娘がいたらその人物を迎え入れるのか、あるいは息子の嫁が娘を生むのを期待するか。(中略)祖母か曾祖母の子孫に母系でつながっている娘を探すのか。血縁を重視する母系制では女性が中心に相続するが、必ずしも特定人の女系の血統を守り続けるわけではない。

近親(非女系)に女性がいるのに、その近親では先祖代々からの母系が途絶えるので、何代もさかのぼって母だけでつながる系統を見つけ出して相続させるなら、本当に意味で女系を血統として重んじる社会となるが、私は母系制社会はそのようなものであるとは認識していない。

谷田川氏facebook

母の母の母の母の・・・

私は、単に、祖母から母、母から娘と家産が相続されていくのであれば「女系」と言って良いだろうと思っていたのだが、谷田川氏は「いかん」と言う。

要するに、フランスの王家や日本の皇室と同じく、父の父の父の父の・・・を辿れば初代君主に行きつくように、母の母の母の母の・・・を辿って初代の女王(?)に行きつくような、代々女系の血筋を守っている家系を谷田川氏は「女系の血統」と定義しているのだろう。

谷田川氏はこう言う。

宮本氏が女系という血統が存在するというのなら、特定の女性の血筋を母娘だけで代々守り続けている事例を紹介してもらいたい。

谷田川氏facebook

「なぜそんな極論を言うのだ?」と思ったが、仕方ない。

真正面から反論する。私が知る限り、「特定の女性の血筋を母娘だけで代々守り続けている事例」は実在するので、紹介したい。

特定の女性の血筋を母娘だけで代々守り続けている事例

西アフリカ、ガーナのアサンテ王国(アシャンティとも)という王国がそれだ。

アサンテ王国は王の姉妹の息子が王位後継者となるという、典型的な母系制社会であるが、珍しいのは「王」とは別に「王母」という地位があって二つの権威を両立させる政治システムがあることだ。

王母」は「在位中の王の母」を意味せず、「次の王の母たる王族の女」という概念であり、多くは王の姉妹が「王母」に即位する。

例えば、王が崩御した後はその息子ではなく、王の姉妹の息子(女系の甥)が王に即位することになっており、そしてその王の崩御後は、さらにその王の姉妹の息子が即位するのである。

系図を見せよう。

(阿久津昌三『アフリカの王権と祭祀』及びGhanaCulturePoliticsを基に筆者作成)

系図の見方は数字が王アルファベットが王母〇が王母でない王族女性である。

アサンテ王家はMaanu(マヌ)という女性が始祖の王朝であり、代々女系でマヌの血をつないでいる。例えば、第12代王母Lは、母の母の母(曾祖母)に遡って王母位を継いだ。光格天皇と同じだ。

また、王母は特定のクラン(血族)と結婚しなければその子供は王位に付けないとされていたが、第6代王母Fは貴賤婚をし、そして貴賤婚で生まれた9が王に即位した。さらに、次世代の王と王母を生むために、結婚・離婚を繰り返した例もある。

王母位は、王統に属する女系の女子が、これを継承する

どうだろう。Lのように傍系でも、Fのように貴賤婚をしても、再婚を繰り返してでもその子供が王や王母に即位するのは、女系の血統こそが正統であり、始祖の女性マヌの血を引くからに他ならない。

アサンテの王権を研究する論文にはこう書かれる。

王母位の継承方式は、基本的には、直系=垂直(母子)型をとっている。直系継承が不可能な場合には離婚という強硬手段に訴えてでも傍系継承によって母性の機能を維持しようとしたのである。言い換えれば、アサンテの系譜は、擬制的なものを含んだ血脈の系譜的連続性における無窮性を表しているのである。

阿久津昌三『アフリカの王権と祭祀』、197頁

いかがだろうか。王母位は、王統に属する女系の女子が、これを継承するという王朝が実在することをお分かりいただけただろう。このように、「特定の女性の血筋を母娘だけで代々守り続けている事例」は存在する。

「声は大きいが底の浅い人」になるな!

そもそも、こんなこと、谷田川氏が知らなくても全く問題ない。女系という血統があろうがなかろうが皇統が男系であることは変わらないからだ。

しかし、彼は少なくとも母系で家産相続される母系制社会の存在は知っていたのなら「である」「しかない」調で論じるべきではなかっただろう。そのせいで、彼の論が非論理的になっているのだから。

保守論壇や男系派には、誰かの述べることを、ろくに調べもせずにオウム返しに言うだけの「声は大きいが底の浅い人たち」(笠原英彦『皇室がなくなる日』252頁)が多いと私は危惧している。谷田川氏の言う「である」「しかない」を自分で消化せずにオウム返しに言う人が出てこないか心配だ。

コミュニケーション的理性が現代の保守論壇には必要なのではないかという危機意識から、今回不躾ながら谷田川氏を批判させていただいた次第である。

皇統の男系継承は人類学的に世界の貴重な文化遺産

さて、今回、あらためて母系制社会の文化人類学論文に目を通し、アサンテ王国は非常に珍しい王位継承文化を持つ社会であり、良いか悪いかは別にして、世界の貴重な文化遺産だと改めて思った。アサンテはイギリス植民地支配下にあっても女系による王母制を維持してきた。これは人類史にとって稀有な王権である。

これに、男女平等や合理性の観点から、「王の子供が王になれないのはおかしい」や、「王と王母は二重権威で合理性がない」と王母の制度を廃止したりしたら、どうだろう?

また、「現在の王の娘が人気があるから、女系ではないが王母に即位して良いのではないか?」と、単なる直系継承を導入するとしたら、どうだろう?

直感的に「こんな貴重な王朝なのに、やめるなんてもったいない」と思うのが普通の感覚ではなかろうか?

王位継承の文化を安易に変えるのは、多様性を尊ぶ人類社会への挑戦であり、世界の豊かな文化を壊す行為ではないか?日本の皇室はその継承の伝統を守るべきだし、アフリカは王母制の女系継承の伝統を守るべきだ。

それぞれの民族に固有の王権は、グローバリゼーションが進んだ現代社会にあっても、世界はなお多様であると改めて気づかせてくれる貴重な文化遺産である。

勝利宣言してもいいですか?

谷田川先生、 谷田川先生、ご発言の「血統には男系か非男系しかない」や「女系という血統は存在しない」「だから「子孫」は男系だ」に関して、事実誤認だと認めていただけますか?

反論がなければ最初の記事で書いた通り、勝利宣言を出させていただきます。

にしても谷田川先生のレベルの低さには正直がっかりしました。谷田川先生が仰った「弱い味方は敵よりたちが悪い、とよく言うが、まさにそれを痛感する出来事である」「男系の皇統を守りたいと考えているようだが、まったく戦力にならないどころか、単なる足手まといであり、敵よりたちが悪い典型例である」とはまさに先生の自己紹介だったのではないかと、私の周りでは聞かれていますよ。


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