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男系信者に捧げる弔辞 谷田川惣氏は完全に終わった(宮本タケロウ)

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谷田川氏との論争の総括

宮本タケロウ Twitter

先日来、伝えている元評論家の谷田川惣氏と本サイト記者の宮本タケロウとの論争だが、先日報道した通り、谷田川氏側から最終反論が寄せられた。

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私の論点に真っ向から答えず、「要するに、オレが間違ってても、皇統は男系なんだ」と当然の事実を繰り返しているだけで、私との会話が成立しないシロモノだった。

もはや谷田川氏に再反論しても無駄だということが分かったので、谷田川氏との論争を総括して、リテラシーのある者は間違いを認めない人間をどのように扱えばよいかを考えたい。

谷田川反論の問題点

まず、谷田川氏がFacebookに上げた反論の問題点から述べる。

「今回、宮本氏が紹介したアフリカに女系でつなぐ王家が“過去に”あったことは知らなかった。 私としては、別に母娘だけでつなぐ女系血統があっても構わないのだが、そのような血筋は知らないので、よりわかりやすくするために、血統には男系か非男系かしかないと述べただけである。」

谷田川氏Facebook

「血統には男系しかない」と述べた谷田川氏に私は「血統の女系継承の実例」を示した。上記のように谷田川氏はそれを「知らなかった」と認めている

普通に考えれば、「知らなかった」ので「血統には男系しかない」と事実誤認をしてしまい、そのせいで彼の主張が全体的に非論理的になってしまったのは中学生でも分かることだ。「よりわかりやすくするため」などと子供の駄々こねレベルの意味不明な屁理屈を言うのはよくない。

事実誤認を前提にするのは非論理的である

さらに、「血統には男系しかない」は間違いだと指摘されたことについて、彼はこう言う。

私が「である」「しかない」調で論じたことによって、非論理的になってしまったと言うのだが、何がどのように非論理的になったのかさっぱりわからない。

谷田川氏Facebook

宮本氏は、(中略)私のことを壊滅させたとのことだが、もしそのようなことが起こりえるとするなら、私の論理を構成する前提部分に事実誤認があった場合だ。

同上

いい加減にしてほしい。「血統には男系しかない」は彼の主張の前提の一つではなかったのか? だからこそ、ろくに調べもせずに「血統と血縁は違う」と私に反論してきたのではなかったか?

おそらく、はじめは「血統は男系しかない」を前提のつもりで書いていたのだが、それを事実誤認と私に指摘され、あわてて「それは本論に関係のない部分だ」とすり替えているのだろう。

谷田川氏の良心に問いたい。「あなたは社会人としてこんな詭弁を使って恥ずかしくないのか?」と。

彼が言っているのは、「結論部分さえ事実であれば、前提で間違えても良い」ということになる。「「皇統が男系であること」は事実である。この事実を結論にすれば、何を言っても問題ない」と言っているに等しい。

谷田川惣氏は小林よしのり氏と変わらない

私はこの谷田川氏の反論を読んだ時、約10年前に行われた漫画家・小林よしのり氏と皇學館大學教授・新田均氏との皇統を巡る論争を思い出した。

女系容認派の小林よしのり氏は「女系も皇位を継承できたほうが生物学的に皇族の数が増え安定する」という伝統を無視した結論をテーゼに据え、それを正当化するために、神話や過去の皇室の歴史を自分勝手に解釈するトンデモ言説に満ちた主張を行った。

「女系容認した方が生物学的に皇位継承は安定する」は確かに事実である。この事実を結論にすれば、どんな論拠(女系容認の根拠)を言っても良い。知ったかぶりと思い込みが露呈して、天智天皇を漫画で女性に書いてしまったこともあった。これが小林氏の姿だった。

それに対して、新田均氏は理知的に理路整然と小林氏の述べる「女系容認の根拠」を学術的に論破したが、小林氏は一切それを認めなかった。

「皇統は男系である」は事実である。この事実を結論にすれば、どんな論拠を言っても良い。知ったかぶりと思い込みが露呈して、「血統には男系しかない」と書籍で書いてしまった。これが今の谷田川氏の姿であろう。

間違いを認められない人間は信者量産へと向かう

間違うことは誰でもある。小林氏にしても谷田川氏にしても、間違いを認めて次に生かせばよいだけである。しかし、どうだろう?谷田川氏はこう言うのである。

そもそも女系でつながる血統があったとして、私の論理性には1ミリも影響がないことは述べているとおりだ。

谷田川氏Facebook

これは、小林よしのり氏の主張する「今までの皇統がずっと男系だったとしても「女系を容認した方が安定する」という生物学的論理性には1ミリも影響がない」と同じ理屈だろう。

可哀そうだが、自分の信者にしかその主張は通用しない。間違いを訂正できずに居直る人間は、信者を量産していく方向へ向かう。小林よしのり氏が、その後「ゴー宣道場」なる「オンラインサロン」を形成したのは谷田川氏もよく知っているはずだ。

保守論壇には対話的理性が必要

要するに、谷田川氏の主張は谷田川氏と「言説世界(universe of discourse)」を共有をしている人にしか受け入れられないということだ。言論人には、価値観の異なる「他者」に対して堂々と主張をし、考えを改めてもらうコミュニケーション能力が必要にも関わらず、残念ながら彼はそれができない人だったということが今回明らかになった。

私の知るある編集者は、近年の保守論壇の劣化について「こういうメチャクチャな理論ばかりしていると、世間から「保守」は頭のおかしい連中だとしか思われなくなる。それを破折するのが若者の使命ではないか?」と言う。また、間違いを指摘されたことを煙に巻く谷田川氏の姿勢を「本人も負けを認めているのでしょう」と笑った。

自分の信者を満足させるだけの信者ビジネスでは、カネは稼げるだろうが、世界はなにも変わらない。おそらく、谷田川氏との論争はもうこれ以上無理だろう。何か反論があればこちらも対応するが、彼と建設的な話ができるとは思わない。

最後に、谷田川氏には「幼稚園児・小学生レベルの屁理屈は辞めたほうがよい」と忠言したい。自らの誤りを認められない姿は滑稽であり、正直、筆者は駄々をこねる幼稚園児を見ているかのようで憐れみを感じた。まして谷田川氏は筆者を「中学生レベル」と非難しているのである。ならば、せめてご自身が幼稚園を卒園し、小学生4年生レベルの分別をわきまえる必要があるのではないか?


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